誓約の成約要件は機密事項です
全力疾走したせいだけでなく、恐怖で心臓が激しく鳴っている。

これ以上歩く余裕はなく、交番の目の前でタクシーを拾って、家まで帰った。

最悪なデートだった。

明かりもつけずに、部屋にしゃがみこむ。住み慣れた自分の部屋に帰って来ても、押し返してもビクともしなかった硬い肩の感触が残って、恐怖が消えない。

一人ではいられなくて、のろのろと携帯電話を取り出す。無意識に、メッセージアプリを開いた。

履歴の一番上は、涼磨だった。映画の後、連絡したものだ。

まだアンティークカップをアイコンに使っている。

〈家についたか〉

《はい、送ってくださって、ありがとうございました。映画も、ありがとうございました。あんな豪華なシート、初めてでした。ポップコーンもお茶も、ご馳走様でした》

〈ポップコーン押しつけて悪かった〉

〈また会えるか?〉

〈この週末は、時間ないか?〉

通話のボタンを押しそうになり、すんでのところで堪えた。

ギュッと目を瞑って、今度は那央のアイコンをタップする。こちらは、かわいい自撮りだ。

思い切って電話をかけてみたが、つながらなかった。

そこでようやく立ち上がって、部屋の明かりをつけた。バッグを床に放り出し、着替えだけもってお風呂に入る。

今日のようなことは、普通なのだろうか。

西は、他の人とはしていると言っていた。拒否した千帆は、おかしいのだろうか。

経験がない千帆には、何が正しいのか分からない。

――でも、したくなかった。
< 76 / 97 >

この作品をシェア

pagetop