君の日々に、そっと触れたい。
Chapter 2

「何も知らない」




それから私たちは、頻繁にあの海辺に集合し、少しずつ、小さな願いから叶え、ノートを赤いマルで埋めていった。



それは「カップラーメンを食べてみたい」とか「ゲーセンに行ってみたい」とか、同じ年代の一般の子からしたら日常の中で当たり前にやっているような小さな願い。

それを李紅は心から望み、叶えてやる度にまるで小さな子供のように目を輝かせた。



最初に言われた通り、李紅の世間知らずはまさに筋金入りで、私が教えないとカップ焼きそばの作り方すらイマイチ分かってなかった。

李紅にとってそうゆう日常的な知識は、ほとんどが本やテレビで見て取り入れているものらしい。

だから李紅は電子レンジを使うのも、お湯の沸かすのも、実践では初めてだった。

私の手つきを見よう見まねでチャレンジするけど、それがなんとも危なっかしくて、私がついててやらないと火傷でもしそうなほど。

だけど私は………私が居ないと何も出来ない李紅が、ちょっと嬉しかったりもしたんだ。



私たちは別に毎日会っているわけではなくて、私が高校の課題をしなくちゃいけない時や、李紅が通院する日は互いに連絡をしあって高校に迎えに来たり、あの海には行かない。

李紅は基本的に元気にはしゃいでいたけど、時々身体の調子が良くなくて海に来ない日もあった。そういう日はわざわざ連絡をして貰うのは悪いから、なんの連絡もなければ調子が悪いのだろうと判断することにした。

そうして私たちが上手く連携を取り、少しずつ願いを叶えていくうちに、気づいたら出会って1ヶ月が経っていた。




「今日は映画を見に行こうと思います!」


私がいつもの海に行くと、李紅は待ってましたと言わんばかりに、映画館のチラシを私の目の前に突き出した。通学路で貰ったのだと言う。


「ええ……お金無いんだけど」

「桜 友達居ないんだから持て余してるだろ!」

「なっ………失礼すぎる!てゆうかこっちは汚された私物の買い直しで手一杯なのよ!」

「…………分かった、俺が出す。持て余してるのは俺の方みたいだし……」


そう言ってわざとらしく憐れむような視線を送ってくる李紅。非常に腹が立つ。

1ヶ月一緒に居てよく分かった、こいつは今まで出会った誰よりも生意気。









「………で、何観るの?私字幕はやだよ」


「まって!今悩み中だから!」


映画館のチケット発券機の前で、仁王立ちしながら唸る李紅。

チラシを貰ったくせに、何を観るかは特に決めていなかったらしく、かれこれ10分近く悩んでる。


「特に興味があるジャンルとかないの?」


これじゃあ埒が明かないと気づいた私は、まずは洋画とか推理とかアニメとか、ジャンルで絞ってみれば、と提案してみる。しかし李紅は不満そうにまた唸った。


「どのジャンルも好きだしなぁ……あのシリーズは前作は良かったけど監督が変わったみたいだし………あの推理映画は見なくても展開が読めちゃいそうだし……」


「随分詳しいね……。映画初めてじゃなかったっけ?」


「映画”館”はね。DVDとかTVでは良く見てたよ。病室ではそれくらいしかすること無かったし。映画館に行ったことないのに映画好きなんて、変な話だよね」


そう言ってなんだか気恥しそうに笑う李紅に、思わず胸の奥がきゅっと痛むような感覚を覚えた。

そんなに好きなのに、病室のテレビでしかみたことがないなんて。

私は特に映画好きというわけではないけれど、李紅の喜ぶ顔が見れるなら、ぜひ大スクリーンで色々な映画を思う存分見てほしいと思う。


「じゃあもういっそ、知名度も注目度も低そーな、めっちゃつまらなそうなやつ観てみる?」

私の提案に李紅は「げ」とあからさまに嫌そうな顔をした。

「人の金だからってそーゆう……」

「違うよっ、だってせっかく映画館なんだし、後でテレビとかで放送しなそうなやつ観た方が良くない?それに知られてないだけで意外と面白いかもしれないじゃん」

「…………確かに」


案外けろりと丸め込まれた李紅は、さっそく入口に置いてあったパンフレットの中から、一番つまらなそうな映画を探し出した。

そうしてまた5分が経過。恐らく、このまま李紅のペースに付き合っていたら日が暮れる。見かねた私は、真剣な目でパンフレットをめくる李紅に声をかけた。


「……そんなに悩まなくても、直感で選べばいいじゃん」

「だってせっかく映画館来たんだから、後悔しないように選ばないと」

「観たいのがいっぱいあるならまた来ればいいじゃん。一年もあるんだし」


私がそう言うと、李紅はパンフレットを捲る手をぴたりと止めた。


「………そうだね」


覇気のない声でそうそうどこか悲しげに目を細めた後、俯いてしまった。


「……………李紅?」

急に黙り込んだ李紅が心配になり、顔を覗きこもうとすると、それを制するように李紅はパッと顔を上げた。

「よし決めた、これにする!行こう桜」

その表情は先程とはうって変わって、いつもの明るい笑顔だった。

さっきの暗い表情の理由を聞きたかったけれど、その強い笑顔に押され、何も言い出せなくなってしまった。


まただ、いつもそうだ。


李紅は基本的にはいつも笑顔。どんな些細なことでも、小さな子供みたいにいつも大袈裟に笑う。

でも時々、ほんとうに偶に。

悲しげに表情を曇らせて、私から目をそらすようにして俯く。

理由を尋ねれば必ず、李紅は何事も無かったかのようにまた元通りに笑った。



もしかしたら、私の言葉が何か気に触ったのかもしれない。だとしたら、撤回するなり謝るなりしたいのに、李紅に笑顔で誤魔化されてしまったら、なぜかそれ以上追及できなくなってしまうんだ。


ほら、今だって。

そんな顔をする理由を尋ねたいのに、李紅が大袈裟にはしゃいで私の手を引き、シネマに入って行くから、何も言えない。







出会って1ヶ月。

一緒に色々な願いを叶えてきたけれど

私まだ、李紅のことを全然知らない。














結論から言うと、その映画は信じられないくらいつまらなかった。

描きたいテーマすら分からないし、イケメンの設定の俳優のルックスもイマイチだし。言ってはなんだけど、あの人より李紅の方がよっぽど”イケメン”だと思う。

その証拠に、私の隣に座っていた女の子二人組は、映画なんかそっちのけで上映中ずっと李紅をチラチラ見ながら、”綺麗”だの”可愛い”だのと小声ではしゃいでいた。

まぁ李紅本人は全く気付いてなかったみたいだけど。



映画館を出たあと、私たちは夕飯を食べるために近くのハンバーガーショップに入った。

ファストフード店でハンバーガーなんて食べるのも、李紅は生まれて初めてらしい。映画を見れたのもよっぽど嬉しかったらしく、さっきからずっと上機嫌だ。



「思ってたよりは面白かったね」


「え、いやどこが?私からしたらあんなつまらない映画なのに、前のめりになって真剣にスクリーンに見入ってた李紅の方がよっぽど面白かったけど」


「はは、ひでぇ」


そんな他愛もない会話をしながら、李紅は飲んでいたオレンジジュースをテーブルに置き、徐に鞄からペットボトルのミネラルウォーターを取り出す。

その手の平には二、三錠の錠剤が握られていて、それを李紅は慣れた手つきで一気に口の中に放り込み、水と一緒に飲み込んだ。

恐らく李紅が食後に毎日飲んでる薬だ。前にお昼にカップラーメンを食べた時も同じようにして飲んでいた。ミネラルウォーターも、いつも持ち歩いてるみたいだ。


「それってさ、なんの薬なの?」

なんとなく気になって尋ねると、李紅はふっと柔らかく微笑んで、大切そうにピルケースを鞄にしまった。

「これはね、俺が余生をより快適に過ごす為の魔法の薬」

「魔法の薬?」

「うん。お守りみたいなものだよ」

「お守り、ねぇ………」


なんだか、またうまい具合にはぐらかされたような気がしたのは、気のせいだろうか。

どうしてなんだろう。

私は、李紅の身体のことはある程度知っているし、特に李紅もその話題に触れられたくないというわけでもなさそうなのに。

ふとした瞬間に、李紅は突然に二人の間に見えない壁を作る。

その壁の先に居る李紅のことを、私はまだ知らない。




早めの夕食を終え、駄弁っている内に、気づいたら時計の針は7時を周り、そろそろ店が混み出すだろうから と私たちは店を出ようと立ち上がった。


その時、


「りーちゃん……?!」


聞きなれない声が、響いて思わず振り返ると、その声の主は引き止めるようにそっと李紅のシャツの裾を掴んでいた。


「え…………ゆうちゃん……?」


戸惑い気味の李紅に ゆうちゃん、と呼ばれたその子は、綺麗な黒髪とふわっとしたボブショートヘアが特徴の、小柄で可愛らしい、高校生くらいの女の子だった。


「やっぱり……りーちゃんや!なんや、えらい久しぶりやなぁ!」


癖の強い関西弁でそう心底嬉しそうに叫ぶと、”ゆうちゃん”は迷いもなく李紅に抱きついた。

そんな様子に呆然としながらも、ちらりと李紅の顔を伺うと、まんざらでもない様子の笑顔を浮かべていた。

───なんだろ、なんか………モヤモヤする。


「約一年ぶりだね!ゆうちゃん元気そうでよかった。なんでここに?」

「引越しや引越し、聞いてへん?ウチはめっちゃ元気やで!りーちゃん、東京の病院に移ったって聞いとったけど、なんでこんなとこにおるん??」

「あー……、それは……」


なんだかバツが悪そうに、李紅がちらりと私を見やる。そこでやっと彼女は私の存在に気づいたようだった。


「あ…………もしかして彼女さん…やった?」

「違うよ」


私が否定する間もなくそう即答され、理由は分からないけど、無性に苛立ちを覚えた。そんなに嫌か、と。

そんな私の気持ちなどお構い無しに、李紅は”ゆうちゃん”の紹介を始めた。

「桜、紹介するよ。こいつは高木夕実(タカギ ユウミ)。俺の病気友達……?みたいなもん」

「病気友達…?」

「そーです。りーちゃんとウチは一年前まで同じ病棟で入院してはったんです。うちが退院したり、りーちゃんが東京の病院に転院になったりしよって、1年間離れ離れになってしもうて」

「そう、なんだ………」

前は、東京の病院に居たなんて、知らなかった。

夕実ちゃんは、気まずそうに上目遣いで私を見た。

「それで………ちょっとだけでええんですけど、りーちゃんと二人きりで話してもええですか…?」

そんな顔をされて、ダメだなんて言えるわけがない。

そうでなくても、私に嫌だなんて言える権利はどこにもない。


「…………………うん」


きっと二人には、二人でしかできない話が、たくさんあるのだろう。


いつもはぐらかされる、私が知らない李紅。

夕実ちゃんは知ってるのかな…。










【李紅side】


二人きりで話がしたいと言うゆうちゃんに促されるまま、桜を店に待たせ、俺は店の出口のちょっとした植え込みに腰をかけさせられた。

「それで、話ってなんだよ?桜に聞かれたくない話?」

桜をあまり長くさせるのも申し訳ないので、俺はなるべく早めに本題を切り出した。

しかしゆうちゃんは煮え切らない態度で、”えっと……”と言葉を詰まらせた。


「久しぶりやな?うちが退院して以来や。あの後、東京の病院行ったって聞いてはったんやけど…………」


「ああ、移ったよ。でも年明けに戻ってきたんだ。あっちの病院にはホスピスがないから」





「………………………え…っ…………?」


ホスピス、その名前を出すと、ゆうちゃんは酷くわかり易く表情を硬直させた。

その反応は当然なのだろう。


ホスピス……つまり緩和医療とは、もう回復の見込みがなく、余命いくばくない患者を薬などで苦痛や不快から解放し、延命治療などはせずに、余生や最期の時をより穏やかに過ごせるようにサポートする、いわゆるターミナルケアを目的とした施設、もしくは科だ。


ゆうちゃんも当然知らないということはないのだろう。ゆうちゃんと俺が出会った病院にも、緩和医療科があるのだから。




「ホスピス………て、え…………っ?ちょっ、ちょお待って」


頭の整理が追いつかなくて、明らかに混乱した様子のゆうちゃん。

それもそのはず。だってゆうちゃんは俺が一年後に死ぬなんてこと、知らないのだから。


「え………だ、だって。移植手術は成功したんやろ……!?」


「したよ。だけどそのあと髄外再発って言ってね、簡単に言えば癌細胞が骨髄を飛び出して、身体の至る所にばらまかれちゃったんだ。多分、次の春は越せない」


「……………………うそやろ」


そう乾いた声を落として、虚ろに地面を見つめるゆうちゃん。だんだんと頭の中で話を理解して、それに比例するように目に涙を溜めた。

そして震える声で呟く。


「…………自分の未来は……決めつけないんじゃなかったん………?…」


それは、1年間の俺がゆうちゃんに言った言葉だ。


『自分の未来は見ないようにしてる。だって決めつけちゃったら、希望を持つことを忘れそうだから』



本当にそうなのかもしれない。

そんなことが言えたのは、あの頃の俺がまだ自分の行く末を知らなかったから。

なら、知らない方が良かったのかと聞かれれば、それは少し違うのだろう。


今は長く生きることよりも、残りの時間をどれだけ意味のあるものに出来るか、という問題の方に夢中だから。


「…………うん。でも、知ってしまったらもう、逃げるわけにはいかないから。現実逃避なんかしてたら時間が勿体ないよ」

一分一秒だって、無駄には出来ない。


「………だからホスピスに行くの……?」


「そうだけど、まだ行かないよ。見てのとおり俺はまだある程度身体の自由が利くし。病院の外でやりたいことが沢山あったから、今は桜………さっきの女の子と一緒にそれを少しずつ消化してるんだ」


「………………あの子って、りーちゃんのなんなん?」


訝しげにそう眉をひそめたゆうちゃん。


なんなん、とはどう言う意味だろう。俺と桜との関係のことだろうか。

──関係…………改めて聞かれると、俺と桜の関係ってなんだろう。


もちろん恋人じゃない。デート紛いなことは結構してるけど、そこに恋愛感情は、きっとない。

じゃあ友達?……それも少し違う気がする。



「………わかんない、けど」


歯切れの悪い答えを返すのがなんとも情けないけれど、”友達”なんて言う曖昧な言葉に表すのも、やっぱり違う気がした。


「俺は桜に笑っていてほしいんだ」


桜の背負っている影。

桜はやむを得ず俺に学校でいじめられていることを打ち明けたけど、本当は自殺しようとした理由は、他にもあるんじゃないかって思ってる。

その影をすべて取り除くことが出来たら、桜は「生きていてよかった」と言ってくれるのだろうか。

でも今のままでは、俺はまだあの冷たい夜の海から、桜を救い出せていない。


上手く、伝えられただろうか。

目の前にいるゆうちゃんは相変わらずぼろぼろに涙を流している。

「………あの子のこと、……大切なんやね」

嗚咽混じりに振り絞られたゆうちゃんの言葉に、俺は微笑んで頷いた。

「──あの子は知っとるん?りーちゃんが、そんな身体だってこと……」

「もちろん。…………でも、いずれは起き上がることもできなくなるってことは、多分…分かってない」


さっき映画館で桜が言った、

『観たいのがいっぱいあるならまた来ればいいじゃん。一年もあるんだし』

と言う言葉に、俺はすぐに頷くことが出来なかった。


確かに、俺の命はあと一年もある。

だけどばらまかれた癌細胞は、じきに身体中で悪さをするようになる。


今でさえ頭痛が酷くて、一日中吐き気に襲われる日がある。

目がチカチカしたり不意に耳が遠くなる時がある。

両足が痛くて眠れない夜もある。

咳が止まらなくて、痰に血が混じることもある。

それを、いつまで効くか分からない大量の薬で、自らに目隠しをするように乗り越える夜。

だけどいつかは、自分の足で歩けなくなる日が必ず来る。

口から栄養をとることができなくなって、呼吸も機械に頼るようになる。

そうして肺に水が貯まるんだ。


最後の数ヶ月は、きっと生きていても生きた心地がしない。


いつまでこうして桜と出かけられるのかは、俺にも分からない。


そういう意味では、残された時間はもう1年もないんだ。


それを、桜は何も知らない。


「………言わへんの?あの子には…」

「……別に秘密にしてるつもりじゃないんだけどさ。わざわざ改まって話すと、なんか重くなるじゃん?俺桜の前では元気ハツラツで居たいから」

苦しむ俺を見て、桜に、生きることは苦しいものなんだと、思ってほしくない。


「…………………無理、してへん?」

「無理くらいさせてよ。14年も我慢したんだから」


ずっとずっと、鳥籠の中に居るみたいだった。

そこは暖かくて、皆に愛されて、すごくすごく大切にしてくれた。

だけどそれだけじゃ、俺は誰にも何も与えられないまま、鳥籠の中で死にゆくだけだ。

自己満足でも、おせっかいでもいい。ただ何かを残したい。俺が居なくなった後の、桜にの未来を救いたい。

ここに俺が生きていたことが、ちゃんと意味のあるものになるように。



「……………そか、もう りーちゃん、決めてしもうたんやね…」


ゆうちゃんは腑に落ちないような顔をしていたけれど、最終的には笑顔で俺の気持ちを尊重してくれた。


「でも、ウチの前でまで無理せんといてな?ウチにできることがあれば、遠慮せんと言うてな!」

「うん。ありがとう、ゆうちゃん」


俺がそう言って笑えば、ゆうちゃんも明るく笑い返してくれたけれたけれど、目には涙が浮かんでいる。


その表情は、ゆうちゃんに初めて会ったあの時の泣き顔に、そっくりだった。


【桜 side】


20分ほど経ってから、二人は店内に戻ってきた。

相変わらず楽しそうに会話に花を咲かせる二人だけど、店を出る前とは違って、夕実ちゃんは何故か泣き腫らしたみたいに目元が赤くなっていた。


───泣いた………?泣いたのかな。

え、でもどうして?再会に感動して…?
いやでもたった一年ぶりでそれはないか。

だとしたらまさか、李紅が何か言ったの……?


夕実ちゃんは元々友達と一緒に来店していたらしく、ちょっとおしゃべりをしたらすぐに友達の元へと帰って行った。

それと同時に私たちは今度こそ店を出て私の家の方へと歩き出したけれど、私は夕実ちゃんの涙の理由が気になって、李紅との会話にも生返事で、もやもやと思考を巡らせていた。

そんな私を怪訝に思ったのか、李紅は眉を潜めて私の顔を覗き込んで来る。


「……桜?なんかあったの?」


なんかあったのはそっちじゃないの?と言いかけて、口を紡ぐ。

これじゃあなんだか私が夕実ちゃんに嫉妬してるみたいだ。


「………夕実ちゃん、目 赤かったから…。なんかあったの?」


意を決して訪ねてみれば、李紅はああそんなこと、と笑ってみせた。


「ゆうちゃん、知らなかったんだ。俺がもう長くないってこと」

「え?さっき初めて言ったの?」

「うん、そしたら泣いちゃった」

「泣いちゃった、って……あんたねぇ」

あんたが泣かしたんでしょう、と咎めれば、李紅は何故か難しい顔をして頬を掻いた。

「そうだよな、普通泣くよなぁ………。ああゆうリアクションなんて飽きるほど見てきたはずなのに、なんでわかんなかったんだろ。……桜と居るのに慣れちゃったからかなぁ」

「……………どうゆうこと?」

「いや桜はさ、今更俺が一年後に死ぬなんてことで泣いたりしないだろ?」

「そりゃあ、まぁ…………」


私はあの日の海で、李紅に初めて会って、李紅の名前を知るよりも先に余命一年だと言うことを知らされた。

だから私からしたら李紅の第一印象がもう”余命一年”だったから、今更それに対して驚きもショックもなにもない。


「でもそれって、当たり前の事じゃないんだよなぁ……。桜と居ると楽だから、すっかり忘れてた」

「………楽?私と居ると?」

李紅は前にもそんなことを言っていたけど、私にそんなことを言うのは李紅くらいだ。






「うん。…………ねえ、桜。最期まで俺の傍に居てくれる?」




唐突にそんなことを言い出した李紅は、なんだか寂しそうに笑っていた。


───私が?李紅の傍に、ずっと………?


「…………どーゆー意味…?」

「そのまんまの意味だよ」


……そんなこと今更言われても…。

傍に居ろも何も、李紅が言ったんじゃない。私の時間をちょうだい、って。

それにただの気まぐれとは言え、私も確かにその手を取った。

だからって訳じゃないけど、当たり前のように私は李紅のノートを完成させる手伝いをしていた。

1年間という短い時間で、あのノートを埋めるために。

そんなことがいつも頭の片隅にあったから、考えたこともなかった。


李紅が口にした”最期”という言葉。




……………分かっていなかった訳じゃない。

寧ろ何よりも先に、知っていたはずなのに。


李紅が一年後に死ぬなんて、想像もつかない。


”最期”………?最期ってなんだろう。どんなだろう。李紅はどんな顔をして、何を話して、どんな風に最期を迎えるのだろう。

想像もつかないその風景の中に、私は居るのだろうか。


李紅はいつも笑っているから、わかんないよ、そんなこと。




「どうしてそんなこと聞くの……?」

質問を質問で返すと、李紅は少し言いたくなさそうに目線を逸らした。

「…………別に。ただ桜は、俺がどんな姿になったとしても、傍に居てくれるのかなって思っただけ…」

「どんな姿…………って?」

「……………」


言いたくないのか、その質問に対しては黙りを決め込む李紅。

李紅には珍しいことだ。

言葉をつまらせたり、俯いて黙り込むなんて。

いつも自分をしっかり持って、芯の強い李紅のそんな様子に、なんだか見てはいけないものを見たような気分にさせられた。


「…………よく、分かんないけどさ」


とにかくこの変に不安な気持ちを追い払いたくて、徐ろに口を開く。



「私は傍に居るつもりだよ。少なくとも、李紅がそれを望む限りは」



私の応えに一瞬だけ驚いたような顔をした李紅だけど、やがて噛み締めるように深い瞬きをして、相変わらずこっちを見ないまま言った。



「…………うん、ありがとう」



なんでだろう。

李紅の望む応えを返したつもりだった。

だけど予想に反して李紅は、らしくもなく下手くそに笑った。

今日の李紅は、なんだかおかしい。

いや、おかしくなったのは夕実ちゃんと二人きりになってからだ。


「……なんかあったのは………李紅の方なんじゃないの……?」


直感でそう尋ねてみたけれど、李紅はふるふると首を横に振る。


「何もないよ。ただ……確認したかっただけだから」


そう言って李紅はまた私に背を向け、歩き出した。私も慌てて後を追うように歩き出した。

いつもは肩を並べて歩く帰り道。

今日は李紅の歩む足が少し早いせいで、その表情はよく見えなかった。


どうしてあんな質問をしたの、とか。どんな姿になっても、ってどうゆうこと、とか。聞きたいことは山ほどあるのに。

声を掛ければ李紅は振り返って、いつも通り柔らかく微笑むから。また私は何も聞けなくなった。

なんだか今日は、はぐらかされてばかりだ。


私が何も知らないわけじゃない。李紅が何も見せないだけだ。



───ねぇ、李紅。

何を考えてるの?

今どんな顔をしてる?


………何を、隠してるの。



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