遠距離恋愛はじめます

3

温かい車内。
心地よい揺れ。
手には読みかけの小説。
いつもなら物語の中に入り込んでいるのに、今日は全く頭に入ってこない。

斜め前からチラチラ送られてくる視線が痛過ぎて…。

視線の主は修羅場を繰り広げていたキャスケットの男性だ。
一両編成でも無いのに何故同じ車両なのか。
何故斜め前に座ったのか。
お互い気まづいんだから、せめて離れて座ってよ!と茉子は自分のつま先を睨みながら内心文句を言った。

周りに聞こえないように「はぁ」と小さく息を吐き横に置いていたトートバッグを開けると、読むのを諦めた本の代わりにスマホを取り出した。
画面を見れば母親からメールが来ている。
迎えに来れるか来れないかの連絡だろうと開いてみれば何やら画像も添付されていた。

【オヤジ、末娘の晩酌で使い物にならぬ】

そんなメールと真っ赤な顔でベロベロな父親と徳利片手にピースサインの妹の写メ。

「ふふっ」

思わず笑みがこぼれてしまい慌てて周りを見渡した。

よ、よかった。
誰にも見られてな……っ!

ホッとしたのも束の間、茉子の顔がみるみる赤くなっていく。
視線の先にいるのは驚いた顔をした例の男性だ。
しばらくそのままでいると先に視線を外したのは男性の方で、しかも口元が緩く弧を描いている。

笑われたし!!

更に赤くなった顔を見られまいと、慌てて俯いた茉子の耳に電車が駅につくアナウンスが聞こえてきた。
減速したら真っ先に降りて逃げようと準備していると、横に人の気配を感じチラッと視線を向けた。

ええええ〜!!
動けないんですけど…。

斜め前に座っていた彼は出口にスタンバイしている。
さすがに彼の後へ並ぶのは嫌だと思った茉子は最後に降りようと、この電車に乗って初めて前を向いた。
真っ暗だった外に段々明かりが増え、終点駅のホームが見えてくる。
ふと、車窓から視線を落とせば紅の座席上になにやら黒いエナメル質の物が置いてあった。

なにあれ?

よくよく見てみれば、そこはさっきまで彼が座っていた位置ではなかっただろうか。

あの人の落し物?
だったら落ちてますよって知らせた方がいいよね…でも違かったらまた恥ずかしい所を見られるし…。

茉子が悶々と考えている間に電車は完全に止まり、隣に立っていた彼は降りて行ってしまった。

ヤバッ!あの人のだったら追いつけなくなる!

意を決して立ち上がると落し物だと思われる物を手に取るとジャラっと中から鍵が出てきた。
これがキーケースだと認識した茉子は急いでさっきの彼を捕まえる為に駆け出した。
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