愛される自信をキミにあげる
十
十
見上げれば、青く澄んだ春の空が広がっている。
まだ幾分か冬の冷たい空気を残した早朝に、あたしはアパートへと戻った。
朝食に本当にカツ丼が出てきた時は思わず目を疑ったけれど、お母さんからの励ましだと思えば嬉しい。
朝から重い朝食を済ませてきたため、昼食は要らなそうだ。
昨日と何も変わらない、いつものあたしの部屋。
カーテンと窓を開けて、朝の清々しい空気を入れる。
「さて、と」
スマートフォンを持つ手が震える。
電源を入れて起動を待った。
落ち着けと、深呼吸を繰り返し画面を見ると、昨夜見た時から通知がもう一件増えていた。
「麗から……メール」
友人からのメールに緊張しながら、恐る恐る画面を見つめる。
〝昨日はごめん。あたし、決めたから。あとは英臣に聞いて〟
たった、それだけだった。
もともと長文を送るタイプではないから、いつもの麗と言えばそれまでだ。
「麗ってば、何を決めたのかぐらい書いてよ、もう……」
今日は仏滅にあたる月曜日。
式場も安いプランなどを用意して集客を狙っているが、平日ということもあって今日の披露宴の数は少なかったはずだ。
だから休んでいるスタッフは多い。
でも、三条課長が休みなのかどうか、あたしは知らない。
「毎日、可愛いって言うんじゃありませんでしたっけ」
電源を切っていたのはあたしだから、文句を言う権利なんかないんだけど。
随分と図太くなったものだ。
あたしから三条課長に電話をするのは初めてのこと。
呼び出し音が鳴る間、口の中がカラカラに乾いてペットボトルから水を飲んだ。
飲み込んだと同時に通話が繋がり、慌てたような三条課長の声が聞こえる。
『笑留っ?』
「おはようございます……あの、今日ってお仕事ですか?」
『いや、休み取った。昨日キミの家に行ったら、いないみたいだったから……今日絶対捕まえてやるって思って。今は家? 昨日どこに行ってたの?』
「え、と……昨日は実家に。今帰りました」
『ちょっと待ってて』
それだけ言うと、通話が切られた。
あの、あたし用があって電話したんですけど、そう言いたくとも電話の相手はもういない。
待ってて、ということはまたかかってくるんだろう。
もしかしたら、タイミングが悪かったのかもしれない。
「はぁ……なんだかなぁ」
電話を待つ間、家事でもしようかと立ち上がるが、いつ鳴るとも知れないスマートフォンが気になり、手につかない。
仕方なく、テーブルの上に置いたスマートフォンをただジッと見つめていた。
すると、部屋のインターフォンが来客を告げる。
「こんな早くに、誰だろ」
少し怖いような気がして、ドアスコープから外を見る。
アパートの廊下には、サラサラの髪を暑そうにかき上げた三条課長の姿があった。
「どうして……」
「直接話したくて」
別れ話だから、相手の顔を見て話す?
嫌な予感を払拭するほどの自信は残念ながらまだなかった。
信じさせてあげるって、以前に三条課長はそう言った。
お願いだから、あなたの気持ちがあたしにあるって信じさせて。
「あたしも……聞きたいことがありました。狭いですけど……」
「ありがとう」
百八十もある三条課長が玄関に立っていると、もともと狭いあたしの部屋はますます狭く感じる。
部屋の中央に鎮座する卓袱台の前に向かい合って座る。
お茶でもと思ったが、早く話をしたい雰囲気が伝わってきて、ただ三条課長が話し始めるのを待つ他なかった。
「麗……やっぱり恋人とのこと反対されたみたいで、見合い話持ってこられたって言ってた」
「英臣さんと……ですか?」
「いや、俺はもう断った後だったから。手近なところにいた俺に白羽の矢が立っただけで、条件に合う相手がいればそれでもよかったんだよ」
「結婚って、好き合ってる人たちだけがするものだと思ってました」
「滝川家は時代錯誤もいいところだと俺も思うけど……苦労させたくないって親心もあるんだろうね」
あたしは親になったことがないからわからないが、お母さんも言っていた。
自分のことなら平気なのに、あたしが辛いのは我慢できないって。
俳優の卵である男性と結婚すれば、きっと麗は苦労するだろうって、そんな生活はさせたくないって思いが、麗のお父さんにもあったのだろうか。
「実際、俺たちみたいな家だと、金目当てに近づいてくる人間も多い。秀征さんはそれも危惧したんだと思う」
大変な世界だ。
ただ、好きだという気持ちだけじゃ恋人にもなれないなんて。
「お見合い、どうなったんですか?」
「麗もだいぶ参ってたけど大丈夫。ちゃんと恩返し、しておいたよ」
「恩返し? あ……」
「そもそも、うちが滝川家と繋がりがあるのは、親同士が友人だからだ。別に脅しをかけられたぐらいじゃ困らないんだよね。うちだって、グループ会社の一つにプロダクションもあるし、人材は外部に委託したっていい。だから、滝川プロダクションに所属してた麗の恋人をうちに移籍させといた。麗はこれ以上反対するなら、今すぐ婚姻届出しに行って家出するって啖呵切ったみたい」
「そうですか……」
それですべてが万事解決するのだろうか。
「笑留が聞きたいことって何?」
三条課長はわかっているくせに、そういう聞き方をする。
意地悪だ。
「英臣さんにとって、麗ってどういう存在ですか?」
「……妹、かな。お互い一人っ子だから。それこそ、あいつが産まれた時から知ってる」
「どうして……麗には恋愛感情を抱かなかったんでしょう」
小さい頃からずっとあんなに綺麗な女の子が近くにいたら、誰だって好きになる。
なのに、どうしてあたしを恋人にしてくれたのかって、ずっと不思議だった。
三条課長は少しの時間悩んで、やがてあたしの目を真正面から見据えた。
「俺と麗は……打算的で性格悪いとことか似すぎてるんだ。イヤでしょ? 一緒にいてもお互い腹の中探り合ってるのとか」
「麗も英臣さんも、そんな人じゃないと思いますけど……」
「それは、俺たちがキミにだけは好かれたいって思ってるからだよ」
「え……?」
「金目当てとか打算で近づいてくる人ばかりなんだ。笑留がそうじゃないってことは俺たちはよくわかってる。でも、キミが思うよりずっとそういう人は少ない。だから、麗は笑留以外に友達なんていないしね」
たしかに麗から三条課長の話を聞くことはあっても、他の友人の話を聞くことはなかった。
二人が付き合っていると勘違いしたのも、あたしの予定が合わない時、麗は必ずと言っていいほど三条課長を付き合わせていたからだ。
以前パンケーキを食べに行くと麗と約束していて、どうしてもシフトの調整ができない時があった。
結局、三条課長を付き合わせた挙句、一人で行けと文句を言われたと翌日に麗が愚痴っていたのを聞いた覚えがある。
それに麗は、あたし以外に絶対三条課長の話をしなかった。
深く考えたこともなかったけど、それほどまでに麗に信用されていたんだと嬉しくもあった。
「でもあたしだって、お金持ちと結婚してタワーマンションに住んでみたい、ぐらいの夢はありましたけど」
そういうの打算って言わないんだろうか。
首を傾げて聞くと、三条課長は笑いを堪えて肩を震わせた。
「本当に打算的な人はそういうこと言わないから」
「そう、ですか?」
「どう? 俺と結婚すれば、その夢叶えてあげられるけど」
「英臣さんと一緒にいられるなら……タワーマンションなんていりません」
もちろん、人並みにいい生活ができたらいいとは思う。
けど、あたしにとって彼の隣にいられるのは、次元が違う喜びだ。
他にはもう何もいらないとさえ思うぐらい。
「ほんと、スルーするよね」
何故かため息混じりにしみじみと呟かれて、三条課長の距離が近づいた。
「……ああ、そうだ。麗が、不安にさせてごめんって言ってた。笑留と直接話したいみたいだったけど、邪魔されたくなくて断った。ごめんね」
「邪魔って……」
「笑留の声、誰にも聞かせたくない。我慢できる?」
耳元で囁かれた声は官能めいていて、あたしはまたこんな時ばかり意味を正確に理解してしまう。
「平日なので……両隣とも、誰もいないと思います」
多分抱きしめられたら、我慢なんてできない。
三条課長の手は魔法みたいに、あたしを蕩けさせてしまうから。
「いいこと聞いた」
ニヤリと口角を上げた三条課長の顔が近づいた。
絨毯の上に押し倒されて、唇が降りてきた。
きっと、これからたくさんの〝可愛い〟と〝好きだ〟があたしの中に注がれる。
見上げれば、青く澄んだ春の空が広がっている。
まだ幾分か冬の冷たい空気を残した早朝に、あたしはアパートへと戻った。
朝食に本当にカツ丼が出てきた時は思わず目を疑ったけれど、お母さんからの励ましだと思えば嬉しい。
朝から重い朝食を済ませてきたため、昼食は要らなそうだ。
昨日と何も変わらない、いつものあたしの部屋。
カーテンと窓を開けて、朝の清々しい空気を入れる。
「さて、と」
スマートフォンを持つ手が震える。
電源を入れて起動を待った。
落ち着けと、深呼吸を繰り返し画面を見ると、昨夜見た時から通知がもう一件増えていた。
「麗から……メール」
友人からのメールに緊張しながら、恐る恐る画面を見つめる。
〝昨日はごめん。あたし、決めたから。あとは英臣に聞いて〟
たった、それだけだった。
もともと長文を送るタイプではないから、いつもの麗と言えばそれまでだ。
「麗ってば、何を決めたのかぐらい書いてよ、もう……」
今日は仏滅にあたる月曜日。
式場も安いプランなどを用意して集客を狙っているが、平日ということもあって今日の披露宴の数は少なかったはずだ。
だから休んでいるスタッフは多い。
でも、三条課長が休みなのかどうか、あたしは知らない。
「毎日、可愛いって言うんじゃありませんでしたっけ」
電源を切っていたのはあたしだから、文句を言う権利なんかないんだけど。
随分と図太くなったものだ。
あたしから三条課長に電話をするのは初めてのこと。
呼び出し音が鳴る間、口の中がカラカラに乾いてペットボトルから水を飲んだ。
飲み込んだと同時に通話が繋がり、慌てたような三条課長の声が聞こえる。
『笑留っ?』
「おはようございます……あの、今日ってお仕事ですか?」
『いや、休み取った。昨日キミの家に行ったら、いないみたいだったから……今日絶対捕まえてやるって思って。今は家? 昨日どこに行ってたの?』
「え、と……昨日は実家に。今帰りました」
『ちょっと待ってて』
それだけ言うと、通話が切られた。
あの、あたし用があって電話したんですけど、そう言いたくとも電話の相手はもういない。
待ってて、ということはまたかかってくるんだろう。
もしかしたら、タイミングが悪かったのかもしれない。
「はぁ……なんだかなぁ」
電話を待つ間、家事でもしようかと立ち上がるが、いつ鳴るとも知れないスマートフォンが気になり、手につかない。
仕方なく、テーブルの上に置いたスマートフォンをただジッと見つめていた。
すると、部屋のインターフォンが来客を告げる。
「こんな早くに、誰だろ」
少し怖いような気がして、ドアスコープから外を見る。
アパートの廊下には、サラサラの髪を暑そうにかき上げた三条課長の姿があった。
「どうして……」
「直接話したくて」
別れ話だから、相手の顔を見て話す?
嫌な予感を払拭するほどの自信は残念ながらまだなかった。
信じさせてあげるって、以前に三条課長はそう言った。
お願いだから、あなたの気持ちがあたしにあるって信じさせて。
「あたしも……聞きたいことがありました。狭いですけど……」
「ありがとう」
百八十もある三条課長が玄関に立っていると、もともと狭いあたしの部屋はますます狭く感じる。
部屋の中央に鎮座する卓袱台の前に向かい合って座る。
お茶でもと思ったが、早く話をしたい雰囲気が伝わってきて、ただ三条課長が話し始めるのを待つ他なかった。
「麗……やっぱり恋人とのこと反対されたみたいで、見合い話持ってこられたって言ってた」
「英臣さんと……ですか?」
「いや、俺はもう断った後だったから。手近なところにいた俺に白羽の矢が立っただけで、条件に合う相手がいればそれでもよかったんだよ」
「結婚って、好き合ってる人たちだけがするものだと思ってました」
「滝川家は時代錯誤もいいところだと俺も思うけど……苦労させたくないって親心もあるんだろうね」
あたしは親になったことがないからわからないが、お母さんも言っていた。
自分のことなら平気なのに、あたしが辛いのは我慢できないって。
俳優の卵である男性と結婚すれば、きっと麗は苦労するだろうって、そんな生活はさせたくないって思いが、麗のお父さんにもあったのだろうか。
「実際、俺たちみたいな家だと、金目当てに近づいてくる人間も多い。秀征さんはそれも危惧したんだと思う」
大変な世界だ。
ただ、好きだという気持ちだけじゃ恋人にもなれないなんて。
「お見合い、どうなったんですか?」
「麗もだいぶ参ってたけど大丈夫。ちゃんと恩返し、しておいたよ」
「恩返し? あ……」
「そもそも、うちが滝川家と繋がりがあるのは、親同士が友人だからだ。別に脅しをかけられたぐらいじゃ困らないんだよね。うちだって、グループ会社の一つにプロダクションもあるし、人材は外部に委託したっていい。だから、滝川プロダクションに所属してた麗の恋人をうちに移籍させといた。麗はこれ以上反対するなら、今すぐ婚姻届出しに行って家出するって啖呵切ったみたい」
「そうですか……」
それですべてが万事解決するのだろうか。
「笑留が聞きたいことって何?」
三条課長はわかっているくせに、そういう聞き方をする。
意地悪だ。
「英臣さんにとって、麗ってどういう存在ですか?」
「……妹、かな。お互い一人っ子だから。それこそ、あいつが産まれた時から知ってる」
「どうして……麗には恋愛感情を抱かなかったんでしょう」
小さい頃からずっとあんなに綺麗な女の子が近くにいたら、誰だって好きになる。
なのに、どうしてあたしを恋人にしてくれたのかって、ずっと不思議だった。
三条課長は少しの時間悩んで、やがてあたしの目を真正面から見据えた。
「俺と麗は……打算的で性格悪いとことか似すぎてるんだ。イヤでしょ? 一緒にいてもお互い腹の中探り合ってるのとか」
「麗も英臣さんも、そんな人じゃないと思いますけど……」
「それは、俺たちがキミにだけは好かれたいって思ってるからだよ」
「え……?」
「金目当てとか打算で近づいてくる人ばかりなんだ。笑留がそうじゃないってことは俺たちはよくわかってる。でも、キミが思うよりずっとそういう人は少ない。だから、麗は笑留以外に友達なんていないしね」
たしかに麗から三条課長の話を聞くことはあっても、他の友人の話を聞くことはなかった。
二人が付き合っていると勘違いしたのも、あたしの予定が合わない時、麗は必ずと言っていいほど三条課長を付き合わせていたからだ。
以前パンケーキを食べに行くと麗と約束していて、どうしてもシフトの調整ができない時があった。
結局、三条課長を付き合わせた挙句、一人で行けと文句を言われたと翌日に麗が愚痴っていたのを聞いた覚えがある。
それに麗は、あたし以外に絶対三条課長の話をしなかった。
深く考えたこともなかったけど、それほどまでに麗に信用されていたんだと嬉しくもあった。
「でもあたしだって、お金持ちと結婚してタワーマンションに住んでみたい、ぐらいの夢はありましたけど」
そういうの打算って言わないんだろうか。
首を傾げて聞くと、三条課長は笑いを堪えて肩を震わせた。
「本当に打算的な人はそういうこと言わないから」
「そう、ですか?」
「どう? 俺と結婚すれば、その夢叶えてあげられるけど」
「英臣さんと一緒にいられるなら……タワーマンションなんていりません」
もちろん、人並みにいい生活ができたらいいとは思う。
けど、あたしにとって彼の隣にいられるのは、次元が違う喜びだ。
他にはもう何もいらないとさえ思うぐらい。
「ほんと、スルーするよね」
何故かため息混じりにしみじみと呟かれて、三条課長の距離が近づいた。
「……ああ、そうだ。麗が、不安にさせてごめんって言ってた。笑留と直接話したいみたいだったけど、邪魔されたくなくて断った。ごめんね」
「邪魔って……」
「笑留の声、誰にも聞かせたくない。我慢できる?」
耳元で囁かれた声は官能めいていて、あたしはまたこんな時ばかり意味を正確に理解してしまう。
「平日なので……両隣とも、誰もいないと思います」
多分抱きしめられたら、我慢なんてできない。
三条課長の手は魔法みたいに、あたしを蕩けさせてしまうから。
「いいこと聞いた」
ニヤリと口角を上げた三条課長の顔が近づいた。
絨毯の上に押し倒されて、唇が降りてきた。
きっと、これからたくさんの〝可愛い〟と〝好きだ〟があたしの中に注がれる。