ふつつかな嫁ですが、富豪社長に溺愛されています
すると彼が、なぜが眼鏡を外してスーツの胸ポケットに入れた。

「この眼鏡、度は入っていないんだ」と、かける必要性を尋ねたくなるようなことを言われたが、私はゴクリと唾を飲み込むだけで言葉が出てこない。

彼の雰囲気が、急に変わったように見えたのだ。


奥二重の涼しげな印象の瞳は、どこか挑戦的で大人の男の色気を醸している。

高い鼻梁の下の血色のよい唇は、蠱惑的な弧を描き、チラリと覗いた舌先は下唇を湿らせてからすぐに白い歯の奥に引っ込んだ。


私の頭には、風情ある北国の酒場で、女性を口説こうとしている渋い中年男性の映像が勝手に浮かんできた。

これは細川たかしの『北酒場』の世界だ。

やめておくれよ。あの歌詞のように、ちょっとお人好しなところはあっても、私は口説かれ上手ではない。

急に色気を溢れさせて、私をどうしたいというんだ。


思わず後ずさろうとしたら、脚立に片足をぶつけて「痛っ!」と声をあげた。

「大丈夫?」と心配しつつ、彼は片手で脚立のフレームを掴む。

倒れないように押さえてくれたのかと思ったが、私たちの距離をさらに近づけようと目論んだようにも捉えることができる。
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