突然現れた御曹司は婚約者
「…っテェ」
信用金庫から徒歩15分の自宅の洗面所で切れて出血している口腔内をうがいした蓮が顔を歪めている。
鏡越しにその表情を見て、こっちまで痛くなる。
「なんで避けなかったんですか」
「避けたらアイツ、栞のこと諦められないだろ。それに栞の家に上がることも出来なかった」
手渡したタオルで口元を拭いた蓮は築年数60年の祖父が建てた日本家屋に目を移した。
「懐かしい感じがするな」
「来たことあるんですか?」
「いや…記憶にはないよ」
両親のことを覚えているようだったからここにも来ているのかと思ったけど、そこは違うらしい。
だとしたら蓮と会っていたのは両親と暮らしていた場所か。
「お、縁側だ」
私が考え事をしている隣で蓮は居間へと続く廊下にある縁側に目を移した。
「縁側から見える枯山水の庭が自慢で、茶室で立てたお茶を朝一で戴くのが祖父と祖母は好きだったんです」
今はもうそこにふたりが座ることはないけれど。
「こんな広い家にひとりで住んでいて寂しくないか?」
蓮からタオルを受け取り、ちょうどいいからと雨戸を閉める私に蓮は言った。
「寂しくないと言えば嘘になりますね」
でも思い出のたくさん詰まったこの場所を離れる方が寂しくて、この家と地元に固執している。
自宅近くの信用金庫に就職したのはそれが理由。