Room sharE
たっぷり湯を張ったバスタブにこれまたたっぷり時間を掛けてゆっくりとバスタイムを満喫して、濡れた髪のままバスローブだけを羽織り、ユウキの待つ部屋へ入ったのは夜中の零時をとうに過ぎていた。
テーブルには私が今日の『ユウキへの貢物』として買ってきたアップルパイの箱が出ている。箱からそっと出すと、それは形が崩れて拉げていた。
きっとさっきの乱暴な車のせいね。
まぁ形は悪いけど、味には代わりがなさそうだし、何よりも真夜中の甘いものほどおいしいものはない。
今日はまったりと重いフランス産の赤ワインを選んで、真夜中のTea……ではなくalcoholだけど、時間を満喫することにした。
ユウキは今日もへそを曲げているのか、アップルパイを口にしようとしない。仕方なしに私が小さく切り分けたパイを一人で食べることに。
何となく……タナカさんからもらった名刺を眺めて、私は傍らに置いたノートPCを立ち上げた。
名刺に書かれた“ZEALE不動産”はすぐに検索できた。
ここ東京に構えた本社をはじめ、何百件と店舗や支所が全国に散らばっている。
「彼、ここに勤めてるのよ?大手ね。本社の課長さんなんて、きっとやり手なのね。え―――誰のことかって?隣のタナカさんよ。
定職につかない誰かさんとは大違いね」
私が自慢げに話したせいかしら、ユウキの表情が僅かに曇った。
「冗談よ」
私はPCを閉じて、名刺の横に置いた万年筆を手に取った。
黒いボディーに金色の文字で『S.T』とイニシャルが彫ってある。
Shuichi Tanaka?
タナカさん―――さっきはフリなのか、そうじゃないのか、手つきが危うかった。きっと万年筆のことなんて忘れてるわね。
そう、彼は万年筆をテーブルに置いたままにそれきりそれには目もくれなかった。
でも、帰ったら慌てるかも。見るからに高そうな万年筆だし。
また届けてあげないと、ね。まぁお隣さん同士だし、会おうと思えばいつでも会えるけど……でも早く渡してあげないとね。なんて
それは言い訳。
私がまた
会いたいのだ。
赤ワインを飲みながら、アップルパイを食べながら、タナカさんに貰った聖書を広げる。
リンゴは―――禁断の果実だ。
禁断の果実とは、善悪の知識の木の果実を指す。アダムとイヴはエデンの園にある果樹のうち、この樹の実だけは食べることを禁じられるが、イヴはヘビにそそのかされてこの実を食べ、アダムにも分け与える。
結果、アダムとイブの無垢は失われ、楽園から追放された。彼らは死すべき定めを負って、生きるには厳しすぎる環境の中で苦役をしなければならなくなる。
誰もが知ってるストーリーだけど、でも改めて読み返すと
――――ふぅん、面白い。
パタン……私は聖書を閉じた。
崩れた一片のパイには甘く煮詰めたリンゴが乗っていて、シナモンの風味がした。
カタン……
遠くで小さく物音が聞こえて私は聖書をテーブルに置くと、壁にそっと手を這わせた。
壁に身を寄せ、何となくぎゅっと体を抱きしめる。
壁を隔ててすぐ――――彼は居る。そう思うとちょっとの高揚。
暖房は切ってあるのに、お風呂あがりの熱がまだ体内でくすぶっている。
それとも―――何か違う理由なのか。
今日―――彼に守られた。
まるでお姫様を守るようなナイトのように、あの腕はたくましく力強いものだった。
騎士とお姫さまなのか、それとも
アダムとイブなのか
私たちは――――
どちらなのだろう。
『禁断の果実』がほろりと崩れ落ちた。