契約結婚はつたない恋の約束⁉︎

「じゃあ、そうと決まれば、すぐにでもここを出よう」

神宮寺はあっさりと告げた。

「えっ、そんなに急に?」

栞は大きな目を丸くする。

「急がねぇとヤバいんだよ。
……あのオッサン、ここで『新作』を書くとか言ってやがるけどさ。佐久間からおれが結婚したことを聞いて、おれの奥さんがどんなヤツか、見に来ようとしてるんだよ。きっとそうだ」

作家の町下 秋樹のことを言っているのである。
神宮寺にとって「恩師」にあたる彼は、どういうわけか血を分けた父親よりもずっと「父親」のようにあれこれ言ってくる存在だった。

初めて週刊誌やスポーツ誌を騒がせたときなどは、突然彼の自宅に呼び出されたかと思うと、正座させられて懇々(こんこん)と説教された。

……まぁ、要約すると『若いから遊びたい気持ちはわからなくもないが、無責任に子どもをつくるような羽目にだけは陥るな』だったけどな。

「あの人を栞に逢わせたら、かなりめんどくさいことになりそうなんだよな」

人嫌いで有名な町下だが、なんだか栞のことは気に入りそうな気がする。
絶対に今までの神宮寺の「女性遍歴」をおもしろおかしく栞に語るに違いない。
しかも、さすがに小説家だけあって、ちょっと「話を盛る」(へき)があるのだ。

「それから、東京へ帰る前に栞の実家に挨拶に行くからさ。そっちの都合、聞いておいてくれよ」

「えっ、たっくんが麻生(うち)のおとうさんに()うてくれはるのん?」

また栞が大きな目を丸くした。

「……『戸籍上の父親』でも、血ぃのつながりはないんやけど」

「それでも、今までずっと育ててくれたのはその『おとうさん』だろ?」

神宮寺は「恩知らず」とばかりに栞を睨む。

「自分にとって『父親』の役回りをする人が、実の父親とは限らないさ」

別に、神宮寺の父親が息子に対して愛情を持ち合わせていない、というわけではない。子どもの頃からつかず離れずという態度で見守ってくれている。

ただ、今となっては町下の方がよっぽど「父親らしい役回り」になっていて、神宮寺の方もなんだかんだ言いつつもそれを受け入れていた。

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