契約結婚はつたない恋の約束⁉︎

「……失礼します」

執筆中の神宮寺の邪魔をしないように、トレイを持った栞は口だけを動かして、仕事部屋にしている書斎のドアを開けた。
とたんにコーヒーの芳ばしい香りが、部屋の中をふんわりと巡っていく。

栞は、十八・五インチモニターの前に座ってキーボードを操作していた神宮寺の傍らに、そっとカフェオレのマグカップを置いた。

飾り文字(カリグラフィー)のアルファベットで「T」とプリントされたフランフランの象牙色(アイボリー)の陶器のマグカップは、なだらかに反り返った飲み口のカーブが絶妙で、口当たりがとてもよかった。

神宮寺が、栞の「S」のマグカップを横取りして飲んだ際に(これもまた決して口に出しては言わないが)気に入ったらしく『同じのを買ってこい』というので、バイトの帰りに購入してきたものだ。


「……あとで風呂に入るから、その間にこの部屋の掃除をしておいてくれ」

神宮寺がマグカップを手にして、カフェオレを一口飲む。だが、その目はモニターを見たままだ。

「わ、わかりました……えっと、触ってはいけない場所とか物ってありますか?」

栞はおずおずと尋ねる。
実は、今までこの書斎には飲み物や軽食を携えて入ったことはあっても、神宮寺がほぼ篭りっきりだったため、掃除ができなかったのだ。

入り口と反対側のドアの奥には寝室があるのだが、神宮寺はもっばら書斎のカウチソファで(やす)んでいるようだった。

「……触ってもらいたくないのは特にはない。デスクの上も資料を整える程度なら構わない。ただ、ゴミ箱の中の物はもちろん処分していいが、デスクの上にある物は絶対に捨てないでくれ」

「わかりました……では、お風呂の用意をしてきますね」

栞は一礼して、書斎から下がった。

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