能ある狼は牙を隠す
目の前で事故現場に遭遇して、そのまま帰宅するのは何だか後味が悪い。警察に色々話を聞かれて、協力したらその後味の悪さが軽減されるのと同等。
ほんの少しの罪滅ぼしのような、そんな気持ちだった。
「…………白先輩から、言ってくれるなんて」
呆けたように呟いた犬飼くんに、「うん?」と耳を傾ける。
彼はゆるく首を振ると、いつもの人懐っこい笑みで喜んだ。
「いえ、ありがとうございます! 正直めっちゃ不安なんで、お願いしたいです……」
「うん。私が出来ることであればできるだけ協力するよ!」
私が言うと、犬飼くんはつぶらな二重を潤ませる。
「白先輩……まじ女神……」
「えっ!? いやいや、そんな大袈裟だよ……!」
目が合った。
途端、彼の瞳孔が縮まって、まるで太陽を見てしまった時のように瞼が下りる。
「大袈裟なんかじゃないです。……僕は本当に、白先輩を尊敬してるんですよ」
噛み締めるかのようにそう告げた犬飼くんは、清々しい表情で顔を上げた。
「それじゃあ、明日からご指導お願いします。白先輩」
「え? 明日……?」
「はい。毎日やらないと間に合わないので! せっかく美術室開けてくれるそうですし」
それもそうか、と頷いて私は苦笑する。
つい先程不遇なことが起きたばかりだというのに、随分切り替えが早いなあ、と心の中でそんな感想を抱いた。