能ある狼は牙を隠す


目の前で事故現場に遭遇して、そのまま帰宅するのは何だか後味が悪い。警察に色々話を聞かれて、協力したらその後味の悪さが軽減されるのと同等。

ほんの少しの罪滅ぼしのような、そんな気持ちだった。


「…………白先輩から、言ってくれるなんて」


呆けたように呟いた犬飼くんに、「うん?」と耳を傾ける。
彼はゆるく首を振ると、いつもの人懐っこい笑みで喜んだ。


「いえ、ありがとうございます! 正直めっちゃ不安なんで、お願いしたいです……」

「うん。私が出来ることであればできるだけ協力するよ!」


私が言うと、犬飼くんはつぶらな二重を潤ませる。


「白先輩……まじ女神……」

「えっ!? いやいや、そんな大袈裟だよ……!」


目が合った。
途端、彼の瞳孔が縮まって、まるで太陽を見てしまった時のように瞼が下りる。


「大袈裟なんかじゃないです。……僕は本当に、白先輩を尊敬してるんですよ」


噛み締めるかのようにそう告げた犬飼くんは、清々しい表情で顔を上げた。


「それじゃあ、明日からご指導お願いします。白先輩」

「え? 明日……?」

「はい。毎日やらないと間に合わないので! せっかく美術室開けてくれるそうですし」


それもそうか、と頷いて私は苦笑する。
つい先程不遇なことが起きたばかりだというのに、随分切り替えが早いなあ、と心の中でそんな感想を抱いた。

< 249 / 597 >

この作品をシェア

pagetop