能ある狼は牙を隠す



犬飼(わたる)。それが彼の名前だった。

移動教室の時、必ずと言っていいほど廊下ですれ違うのは、やはり偶然などではなかった。
彼はうちのクラスの時間割を把握している。その上でごく自然に、偶然を装って姿を現すのだ。


「白先輩!」


最初はただの後輩という認識でしかなく、軽く声を掛けたり手を振ったり、健気に彼女を慕う一人の男子生徒だとたかを括っていた。
万が一があるかも分からない。そう思って一応気にとめてはいたが、大してマークもしていなかったというのが正直なところだ。

だから油断をしていた。
最近、彼女が俺のことを意識してくれている。少し浮ついていた罰が当たったのかもしれない。


「もう、こんなとこで何サボってるんですか! 全然来ないから探しましたよ」


手元から引き離された温もり。
彼は羊ちゃんの腕にしがみつくと、媚びを含んだ声で訴えかけた。

戸惑ったように彼に受け答える羊ちゃんを見て、自分の中で何かが急速に膨らんでいくのを感じる。


「じゃあ狼谷くん、また明日ね!」


結局羊ちゃんは、あっさりと彼について行ってしまって。
その背中をぼんやり眺めていると、唐突に彼が振り返る。

――失せろ。

唇は確かにそう言った。

彼女に向けていた表情とは一変、その幼さの残る顔付きは侮蔑と憎悪に歪み、俺を鋭く睨めつけていた。

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