能ある狼は牙を隠す
我田引水
「こら、羊」
少し強めに腕を叩かれて、我に返った。
カナちゃんは険しい顔で私を叱ると、声を低めて続ける。
「刃物持ったままぼーっとしないの、危ないでしょ」
「ごめん……」
謝りつつ、握っていたカッターの刃をしまう。
自分はそんなに気落ちしていたんだろうか、と小さく息を吐いた。
私の様子をしばらく見つめていたカナちゃんは、つり上げていた目尻を下げて、気遣わしげに問うてくる。
「大丈夫? 最近ほんと元気ないね」
曖昧に頷いて、私は俯いた。
自分の両腕を擦る。あの時、痛いほど掴まれた感覚が未だに抜けない。
怖い、と確かに思ったはずだった。本能的な恐怖が全身の筋肉を強ばらせていたのに、いざ離されると拍子抜けしてしまって。
途中まで彼の瞳は何も映していなかった。凪いだ水面のようにいっそ静穏で、このまま手を下されるんだと内心思ったのだ。
だけれど、そんなことはなかった。狼谷くんは私の顔を見て、必死に葛藤しているようにも見えた。
『ごめんね。もう、……全部やめるから』