能ある狼は牙を隠す
人気のない放課後。その声は廊下からだった。
うずくまっている女子生徒は自分と同じ新入生。その横で背中をさすり、声をかけているのは上級生だろう。
心配そうな表情で「どこか痛いの?」、「気分が悪い?」と懸命に問いかけ続ける上級生は、じっと見つめる僕の存在に気が付いたのか、唐突に顔を上げた。
「あっ……ごめん、そこの君!」
切羽詰まった声色から、人の良さが滲み出ていた。
真ん丸の綺麗な瞳がこちらを真っ直ぐに射抜く。
「お願い! 今すぐ保健の先生呼んできてもらえないかな……?」
彼女の縋るような視線と、下手に頼み込む口調。必死に手助けを乞う様に、目から鱗が落ちたような衝撃を受けた。
こんなに慈悲深く、美しい「お願い」が存在するのか。自分のためではない。紛れもなくただの他人のために、いま彼女は主導権を僕に預けている。
――彼女が頼む側なのにも関わらず。
「はい。分かりました」
「ありがとう……! お願いします!」
それが、白先輩と初めて交わした会話だった。