能ある狼は牙を隠す
辛い。苦しい。もういっそ、憎みたい。
でも何度だって思い出すんだ。狼谷くんの幸せそうな笑顔も、照れて赤くなった耳も、熱かった手の平の感触も。
『ううん。……一回味をしめると、人間って欲深くなるなと思って』
ああ、本当だね。一度覚えてしまった熱は、もう忘れられそうにない。
「……有り得ない」
ぽつりと、犬飼くんが零した。
「有り得ない――どうして、どうしてどうして! 先輩がそんな穢れた感情を持つなんてある訳がない! 誰よりも綺麗で純粋で優しい先輩が、あんな糞野郎に……あんな奴のものになるなんて、絶対に許さない!」
取り乱して喚く彼を、黙って凝視する。
「先輩には僕しかいないんです! お願いだから、僕だけを見て下さい……」
一向に意思疎通のできない犬飼くんに、私は自分の中の芯がすっと冷えていくのを感じた。
「……犬飼くんが欲しいのは、私じゃない」
掴まれた手をそっと抜く。
「私は犬飼くんが思うほど、綺麗な人間じゃないよ。道路に百円玉落ちてたら多分貰っちゃうし、勉強だって全然さぼっちゃう。もちろん恋だってする」