能ある狼は牙を隠す
ステージから司会の人の声がマイク越しに聞こえる。
花火の前フリか、とぼんやり考えていた時。
「羊ちゃん」
周りの話し声や笑い声も気にならないくらい、それはクリアに耳に入ってきた。
弾かれたように振り返り、私は息を呑む。
「狼谷くん……!」
赤く腫れた頬が何とも痛々しい。
切れた唇が染みるのかぎこちなく口角を上げた彼に、駆け寄って手を伸ばした。
「大丈夫? 痛そう……血出てたもんね……」
どうやって話そう、とか。なんて言葉で始めよう、とか。そんなものは全部吹っ飛んでしまった。
狼谷くんを前にすると感情が纏まらなくなる。ぐちゃぐちゃになって、絡まって、すごくみっともない。
本当だったら恥ずかしいとか隠したいとか思うのかもしれないけれど、なんでだろう。彼にはどうしようもなく伝えたくなるんだ。
「……羊ちゃん、ありがとう」
優しく緩んだ目尻が。穏やかな声が。
また自分に向けられていると分かって、堪らなく愛おしくなった。
それは多分、すごく無意識で。
私は衝動的に彼の手を取ると、そのまま走り出した。
「羊ちゃん……!?」
必死に足を動かしながら、彼のこんな焦った声を聞いたのは初めてだな、とか。カナちゃんはやっぱり何も驚いていなかったな、とか。そんなことを思った。