能ある狼は牙を隠す
僅かに低くなった声。
顔を上げると、獰猛で荒々しい色を秘めた瞳とかち合った。
「だめになって。何にも怖いことないよ。どんな羊ちゃんでも俺は絶対離れたりしないから」
「狼谷くん……?」
「俺と一緒にだめになろ?」
息を呑む。とても彼が冗談を言っているようには見えなかった。
その誘いは酷く魅惑的で、脳の奥が溶かされてしまいそうな感覚に陥る。
「……や、やっぱりだめだよ。遅刻とかはよくないと思う、狼谷くんだって困るでしょ?」
正気を取り戻せ、私。狼谷くんは優しいからこう言ってくれるけれど、それに甘んじて傲慢にはなりたくない。
そっと彼の手を外しながら周囲を窺う。街行く人々には仲睦まじいカップルの触れ合いと映るのか、校内の時ほど視線は刺さらないようだ。
狼谷くんはしばらく私を見つめたまま黙り込む。やがて力が抜けたような笑みを浮かべた。
「……俺は別にいいけどね」
「え?」
「ううん。行こうか」
話題を終わらせた彼が手を差し出してくる。それを握ると、応えるように指先が絡んだ。
熱い体温と、甘い空気。
それなのに胸がざわついたのは――顔を背ける寸前、彼の表情がほんの少し、寂しそうに歪んだせいだと思う。