能ある狼は牙を隠す
端的に告げた彼の声は重々しい。どうやら私の背後へ向けられたもののようだった。
一体誰と話しているのか、と振り返った瞬間。
「ひぇ……⁉」
ふらふらとした足取りでこちらへ近寄ってくる、顔中血だらけの男の人。
そういえば、この時期は夜になるとゾンビを装った人たちが出てくると言っていた。ハロウィンイベントだ。
特殊メイクにしたって、すごいクオリティだなあ……。
「玄くん、ありがとう、大丈夫だよ! 私ホラー系平気だから……!」
そうだよね。大体女の子はみんな怖がるよね。
流石にびっくりはしたけれど、実はお化け屋敷も一人で入れるくらいには耐性があるから何ともない。
こういう人たちって、基本的に脅かすだけで直接触ってくることはないから、そんなに警戒しなくても大丈夫なんだけれど。彼の気遣いはありがたい。
「散れよ。邪魔」
周りにも数名いたらしく、玄くんが吐き捨てた。
彼の舌打ちが聞こえた瞬間、私だけでなくゾンビの方々も一瞬動きが止まったような気がする。
ええ、怖い……玄くん、ゾンビより怖い……。
「羊ちゃん、大丈夫? ここ抜ければすぐだから」
「あ、うん……ありがとう……」
表情筋がうまく機能しないのは、ゾンビのせいということにしておいた。