能ある狼は牙を隠す
彼は私を大事にしすぎている。いや、正確にいうと、彼自身を殺してしまっている。
盲目的な愛に飛び込んでしまいたくなるけれど、それじゃだめだ、と最近本当に思った。
他でもない、私が。彼を消してしまいそうで。
彼をかたどるものが、境界線が日に日にぼやけていく。私の境界線と交わりそうになって、切れ目が分からなくなっていく。
いつか玄くん自身がなくなってしまう。それも私のせいで、だ。
私は彼が好きだ。私を好きな彼が好きなんじゃない。彼自身を、好いている。
だから、このまま彼の中が空っぽになっていくのは絶対に嫌だった。
これは私の我儘? こんなことを願うのは贅沢?
分からない。でも、私は彼が彼自身を全うすることを望んでいる。
ピロン、と機械音が鳴った。
緩慢に起き上がってスマホを手に取る。
『玄、熱出したらしいよ』
津山くんからだった。
たった一言だけのメッセージ。しばらく画面を見つめて、その文面を咀嚼する。
ベッドから降りて、クローゼットを開けた。部屋着から着替えて、軽く髪を結う。
スマホと財布を持って、部屋を飛び出して、階段を駆け下りた。
「羊? どこ行くの?」
「彼氏に会ってくる!」
「あら、そう。…………え?」