能ある狼は牙を隠す
さっきまでの少し強引な手つきとは違う。慈しむような手が背中に回って、そのまま抱き締められた。
「羊ちゃんしかいない。羊ちゃんだけ。……だから、もう俺から離れていかないで」
彼が私の肩口に頭を埋める。
まるで小さい子がお母さんを泣いて引き止めるかのような、悲しい響きだった。
逃げないで。離れないで。
彼はよくそう口にする。私がいなくなることを酷く恐れている。
一緒にいて笑っていても、どこか寂しそうに、不安そうに私を見つめている。
玄くん、もう心配しなくていいよ。私はどこにも行かないよ。
この人の弱さも醜さも全て、愛さずにはいられないんだ。
「玄くん、顔見せて」
さらさらの髪を撫でて、彼に優しく語りかける。
緩慢に体を起こした玄くんの眉尻は頼りなさげに下がっていて、本当に子供になってしまったみたいだった。
それに少し苦笑して――彼の唇にそっと、自分のものを重ねる。
「……玄くん。もう、だめだよ」
触れたのはほんの一瞬だったけれど、体を熱くさせるには十分だった。
彼が目を見開く。自分でも驚くくらい、突然で、自然なキスだった。
「私のために、自分のこと犠牲にするのはだめ。それが私は一番辛いし悲しいよ。私だって玄くんに笑ってて欲しいし、元気でいて欲しい」