能ある狼は牙を隠す
歪に口端をつり上げた彼が別人のようで、何か地雷を踏んでしまったのだと悟った。
彼の手が、そっと私の太腿をなぞる。
「――俺、我慢できなくなっちゃうよ?」
それが合図だった。
つ、と熱い舌が喉を下から上に舐め上げる。そして軽く歯を宛てがわれたかと思えば、まるで液体を啜るかのように皮膚を吸い込まれた。
「玄、くん……ま、待って、」
「羊ちゃん……もう、無理、今すぐ食べちゃいたい……」
その言葉は比喩などではなかったらしく。
彼の歯が喉元に当たる。やわやわと何度も食まれて、その度に体が震えた。
「羊ちゃん、羊ちゃん……欲しい。食べたい……」
怖い。急所を噛まれて本能的に恐怖を感じているはずなのに、なぜか頭が朦朧としてくる。
「だいすき」
「ひぅ……!」
かぷ、と喉に噛みつかれた。
さっきまでの甘噛みとは違う。歯の感覚がはっきりと分かる。少しだけ痛くて、でも噛みつかれたところからじんわりと疼いて、涙が出た。
「すき、羊ちゃん……」
噛み跡を確かめるように、彼の舌が這う。
おかしい、のかもしれない。彼も、私も、「普通」という括りに入れておくには、異質すぎるのかもしれない。
だけれどもう、戻れっこないんだ。彼を知らなかった頃には、彼を好きじゃなかった頃には。
こんなことをされても、怖さより愛しさが勝ってしまうのは――
「すき、すき……羊ちゃん、すき……」
彼はいつだって、「好き」の二文字をくれるからだと思う。