能ある狼は牙を隠す
だめだ。限界だ。
視界がぼやけて、生温いものが頬を伝っていくのが分かる。我慢しようとすればするほど、嗚咽が止まらない。
「もう、やだ……」
玄くんが笑ってくれないと、好きって言ってくれないと、嫌だ。
抱き締めて欲しい。キスして欲しい。痛くても、縛ってもいいから、私だけだよって教えてくれないと嫌だ。
玄くん。ねえ玄くん、離れていかないで。
「……ごめん」
坂井くんはそう言うと、私の背中をゆっくりさすった。
多分それは、彼氏がいる女の子に触れることに対しての謝罪だったんだと思う。律義な人だ。
「大丈夫。大丈夫だよ。……俺は、白さんの味方だから」
とん、とん、と規則的に坂井くんの手が私をあやす。
盛大に泣きじゃくる私を宥めようとしてくれたのか、彼はずっと玄くんに怒っていた。彼女にこんな顔させちゃだめだよな、とか、不安にさせるようなことするなよ、とか。
気遣いなのは分かっていたけれど、玄くんのことをけなされているようで、あまり気分は良くなかった。
「無理しちゃだめだよ。白さん、一人で抱えすぎ。今度何かあったら、ちゃんと俺に教えて」
励まし、なんだろうか。坂井くんの声色が妙に明るい気がした。
それでも、ずっと泣いているわけにはいかない。
ず、と鼻を鳴らして、彼の言葉に頷く。
顔を上げた先。坂井くんは相変わらず人のいい笑みを浮かべていて、その瞳はどこか無機質に映った。