能ある狼は牙を隠す



「羊ちゃん」


背後から声を掛けられ、肝が冷えた。
恐る恐る振り返る。こんなにまじまじと真正面から彼の顔を窺うのは久しぶりな気がして、その表情は硬かった。


「あ……ご、ごめんね。昨日、電話出られなくて……」


ずっと目を合わせているのも何となく気まずくて、思わず視線を逸らす。

昨日。昨日は、厄日だった。
結局坂井くんとそのまま一緒に帰って、疲れ切って早々に寝てしまった。

玄くんとは毎晩一応電話はしていたけれど、最近お互いぎこちないし、彼はバイトの後で眠たそうだし、会話なんて弾むわけもなく。昨日も彼は夜までバイトで、終わった後に電話を掛けてくれたんだろう。朝起きたら着信履歴が残っていた。


「ううん、大丈夫」


彼は緩く首を振って、切れ長の目を伏せた。
咎めるわけでもない。理由を聞くわけでもない。だったらどうして、わざわざ話しかけてきたのか。

昼休みの、あまり人気のない非常階段。
少し一人の時間が欲しくて、購買に行ってくるという口実でここにやって来た。物凄くゆっくり、一段一段踏みしめるように下っていたところを、彼に呼び止められたのだ。


「……何か、あった?」

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