能ある狼は牙を隠す

SS 曲学阿世 ―Shinobu Sakai―



落ち着いた雰囲気の京都の旅館。温かみのある照明が廊下を照らし、眠気を誘う。
気持ち急ぎめに風呂から上がって、班長会議に出席した後、俺は自分の部屋へ戻ろうとその道を歩いていた。

就寝までの自由時間は、修学旅行の醍醐味と言えるだろう。
それにあたる今の時間帯、部屋間の行き来が黙認されていて、濡れた髪もそこそこに友達の元へ急ぐクラスメートと何度もすれ違った。

皆一様に浮かれた表情で通り過ぎていく中、前方からやって来る小さい影に目が惹きつけられる。
普段は結われている、色素の薄い柔らかそうな髪の毛。肩下で軽やかに揺れるそれとは対照的に、彼女は俯いていた。

一歩、また一歩と距離が近付いていく。
そのまま通り過ぎようとした刹那。ふと視線を移した先、きらきらと輝くものが視界に飛び込んできて、俺は反射的に彼女の肩に手を掛けた。


「どうしたの、大丈夫?」


純粋な心配だった。
穏やかに笑みを浮かべているのがデフォルトの、一クラスメート。何か問題でもあったのかと、学級委員として使命感に駆られていた。


「坂井、くん?」


控えめな声が俺を呼ぶ。

光を受け止めて揺れ動く丸い瞳。そこから一筋零れた透明の雫。紅潮した頬と白い首筋のコントラスト。
彼女が顔を上げた瞬間、ずくりと下腹部が疼いて、息が止まった。


「あっ、ご、ごめんね! 何でもないよ」

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