能ある狼は牙を隠す
『羊ちゃん、泣かないで』
私だって泣きたくて泣いてるわけじゃないんだよ、玄くんのばか。
恥ずかしくて泣きたくなるのも、気持ちよくて涙が出るのも、今まで知らなかった。
『こら!』
誰かを真剣に怒ったのも、誰かを想って苦しくて泣いたのも。全部全部、玄くんが初めてだった。
喜怒哀楽、誰にでもあるはずの感情。でもそれをずっと胸の内に秘めて、笑って受け流すのが正解だと思っていた今までの自分。
どうしようもなく誰かを愛しいと思うとき、なりふり構っていられないことを知った。奥にしまってあった感情が壊れて溢れて、どうにもならないことを知った。
曖昧だったアイデンティティが少しずつ浮き彫りになって、自分も知らなかった自分を沢山見つけた。
引き出される。持っていかれる。止められない。全て、彼に。
そこで知った醜さも苦しさも、負の感情どれもが、私の財産だった。
嬉しい楽しい、綺麗なだけじゃ絶対に幸せになれないって、今ならもうちゃんと言える。
抱えた痛み、全てを愛したいと思う。愛おしいと思う。
嫉妬、後悔、焦燥、屈辱。結局どうあがいたところで、こんがらがった糸の中、太陽のように眩しい「好き」だけが鮮明に残った。
「……白さんは、狼谷がもう分からないって言ってたけど」