あなたがすきなアップルパイ
寡黙な王子様はアップルパイがお好き
01.出逢い
都内にある小さな洋菓子店『Anna』で働いて、二年になる頃――――。
莉子が23歳の時に、今の恋人である新谷享と出逢った。
彼は莉子と出逢った頃は、近づき難い人で。
彼の出逢った頃の印象は、無口で物静かで、堅物そうで。
彼と出逢ったのは、莉子が働く洋菓子店に彼が客として来店した時のことだ。
閉店時間となるPM.10:00まで、あと五分を切る時刻だった。
一人で店番をする莉子は、もう殆どお客さんも来ないこの時間にショーウィンドウの前に構えていて、肘をついて時間を潰していた。何度も眠気に襲われながら、店内のクリーム色の壁にかかる時計としばらくはにらめっこをしていた。
しかしもうお客さんも来る気配もないので、少し早く店を片付ける準備を始めようかと、眠たい意識を奮い起こそうとするところだった。
「ケーキ……少し余っちゃったな……」
店内の明るい照明の下で贅沢に輝いていた商品の売れ残りを眺めて、莉子は少し悲しい気持ちに襲われる。
今朝早く店に来て丹精込めて作った自分のお菓子が、誰にも食べてもらえなかった虚しさややるせなさを感じるのは、この仕事をする上で仕方ないかもしれないが、今日もまた項垂れてしまう。
せっかくならより多くのお客様に食べてほしいと思うのが、莉子がこの仕事を続ける上でのやり甲斐だ。だから、それが達成されなかった時の悔しさは半端ではない。
しかし殆ど毎日それを噛み締めながら、時間になると店のシャッターを降ろすことになる。
この日も彼女が支度をしようと店の入口に背を向けた時、ドアベルが小さな音色を鳴らした。
「まだ、開いてますか?」
店内のドアの前に、会社帰りらしきスーツを着た男性が立っていた。
仕事終わりにも紺のネクタイをピシッとしめて、頭からつま先まで落ち着いた格好で、その人の涼しい目元がこちらを見つめている。
「え……あっ、はい。いぃいらっしゃいませッ!」
閉店時間もギリギリに迫るこんな時間にお客さんが入ってくるとは予想外だったので、莉子も慌てて踵を返しながら男性の注文を聞く姿勢を示す。
男性のそのお客さんは、商品の品揃えを一瞥して、次に淡々と注文を決めていく。
「このケーキと、これと……あとアップルパイ」
ショーウィンドウに売れ残ったすべての商品をお店の白い箱に詰めて、その人はレジを淡々と済ませると再びドアベルを鳴らして店内からいなくなる。
呆気にとられながらも莉子は彼が帰った後、カラになったお店のショーウィンドウをうっとりと眺めて、その日は終始ご機嫌に帰り支度を済ませた。
借りているアパートの部屋に帰宅してお風呂に浸かるまで、あの最後のお客さんのことがしばらく頭にあった。
なかなかカッコいいお客さんだったな、なんて実りのない花を一人咲かせながら、翌朝も早いのでさっさと布団に入った。