あなたがすきなアップルパイ

 来店した恋人の姿を前に、莉子は頭が真っ白になる。
 そこには黒のチェスターコートの下に帰社後にこちらに立ち寄ったとわかるスーツ姿の新谷は、莉子を見つけてその顔つきがほんの少し穏やかな表情に変わる。
 
 
「あらあら、ご指名よ。莉子ちゃん」
 
 御堂にからかわれながら彼とポジションを入れ替えて、御堂はさっさと店の裏に引っ込んでしまう。
 お節介好きの彼の計らいで新谷と二人きりにされた店内で、莉子は気恥しい内情を抑えつつおずおずと新谷に尋ねる。
 
 
「新さん、どうしてお店に……」
 
「いや、しばらく顔を出していなかったし……今日は仕事が片付いて割と余裕があるんだ。そっちの仕事が終わったら、久しぶりに外食でもどうだ?」
 
 しばらく二人で食事に出かけることはなかったが、相手の仕事のことを気にして莉子も遠慮していた部分がある。同棲を始めてからは彼の部屋で恋人の時間を過ごすことが増えて、二人で出かける機会はすっかり減ってしまった。
 彼の方からこうした誘いがなければ、莉子から遠慮して彼と二人で食事に出かけることはなかったと思う。
 
 
「ねえ、それって、デートってことでいいんですよね?」
 
 カウンターから前のめりに身を乗り出し、莉子は真っ直ぐな視線で新谷の顔を見上げる。
 
 
「それで、返事はどうなんだ?」
 
「やっぱり、いじわる」
 
 
 
 昔と変わらない恋人とのやり取りに、昔のときめきを思い出す。
 新谷と付き合い始めた頃も、素っ気ない彼からの口説き文句が嬉しくて。仕事帰りに甘いお菓子を買いに来てくれる新谷にいつしか惹かれていた自身のことを振り返り、すぼめていたはずの口元はふわりと緩んだ。
 昔も今も莉子には敵わない。
 
 
 外で待っていると莉子にひとつ微笑んで、新谷は扉の向こうに消えていく。
 
 
 
 
 
 ふわふわとした気分で支度を急ごうとすると、裏から様子を覗いていたらしい同僚達に囲まれ、あれやこれやと詮索されたりもしながらバックヤードに戻り着替えを急いだ。
 こんなことなら普段から気合の入った服でくればよかったと、まったく省みない反省を漏らして毛玉のセーターにコートを羽織る。今日はロングスカートを穿いてきて正解だったと思う。跳ねた髪を手櫛で梳いて、もう一度鏡を入念にチェックして、莉子は背中に羽が生えた気分で、遅番の同僚達に挨拶を残して職場を後にした。
 
 
 
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