あなたがすきなアップルパイ
「随分時間がかかったな」
お店の目前にある暖色の灯る街灯の下で時間を潰していた新谷が、裏扉から飛び出してきて慌ただしい様子で新谷のもとにまで駆け寄る莉子を見るとそう言った。新谷とここで落ち合うまで、かれこれ20分もあの同僚達に捕まっていたようだ。
「そ、そうかな? 仕事のことで店長と少し話してたから……」
「お店の方は大丈夫なのか?」
「うん。それは問題ないよ。それより楽しみだな〜」
女ばかりの出逢いに悩みある者も多い職場で、新谷のような色男がお店に来たら詮索されてしまうのも仕方ないような気がする。彼がまだ客として『Anna』に来店していた頃にもよくあったことだ。
それとなく話を逸らして、二人は並んで歩き出した。莉子は無邪気に振る舞いながら、新谷と寄り道をする時間を噛み締めた。
莉子が新谷にどこに食べに行くかと尋ねれば、駅前に新しくオープンしたという洋食店を予約しておいた新谷が、不意に莉子の裸の手を握り自身のコートのポケットの中で温めながら、スマートフォンの画面で予約内容の確認をしている。
暦も秋から冬へと移り変わろうとしている。
普段は少し冷たいところもあるが、莉子の手を握ってくれた手は温かい。
よく知らない相手には、無愛想な男だとか、近寄り難いと思われるくせに、莉子には何も言わずにこんなことを軽くやってのけるのだから、付き合い始めた頃から莉子の心臓は飽きもせず胸を高鳴らせている。
今日も『Anna』でたくさんの夢を詰め込むために酷使した手を、彼のかたくて優しく包み込む手が癒してくれる。
まるで王子様のエスコートを受けるようで、小さなお菓子を食べるより莉子の心をうっとりと満たしてくれる。
「駅まで少し遠いが……タクシーを呼ぼうか」
「ううん。いらない。もう少しこのままがいい」
もう少し、このままでいたい。
大好きな人に繋がれた手を、このまま独り占めしていたい。今はまだ彼のお姫様になれずとも、これくらいは赦されると思った。
来年のこんな寒空にも、隣に愛しい人はいてくれるだろうか。