あなたがすきなアップルパイ

 まもなく彼らのテーブルに魅惑のデザートが、甘い果実の香りを漂わせて運ばれてくる。
 
 
 
 
 
 タルト・タタン。
 
 
 
 プリン状の型に流し込んだ生地にカラメルのドレスを被せるとその表面は黄金色に艶めき、甘い蜜の香り漂う宝石のようである。
 
 フランス由来の上等な焼菓子で、キャラメリーゼしたりんごを型に敷き詰め、タルト生地を上から被せて閉じ込めた絶品の一品。
 
 『Anna』ではまだ取り扱いがない洋菓子だが、莉子も洋菓子店で働く一介のパティシエであるからには、そのタルトの名前を耳に入れていた。こうして現物を目の当たりにするのは初めてのことだ。
 
 
 100年の歴史しかないこの焼菓子の近代的で洗礼された見栄えと、シンプルな工程ながら果実をふんだんに使用したカラメル層のグラデーション。
 
 仕事柄毎日古今東西様々な形式の生菓子や焼菓子を目の当たりにしている莉子でさえ、すっかり魅了されてしまっていた。
 
 
 
 莉子が意識をタルトから離したのは、新谷に不意に名前を呼ばれたからだった。
 
 
 
 
 
「莉子」
 
 
 恋人に自分の名前を呼ばれたので莉子がすぐに彼の方に顔を上げれば、普段よりもどこか表情の乏しい新谷と、じっくり見つめ合う。
 
 
 
「どうしたの、新さん。そんな怖い顔して」
 
「大事な話があるんだ。どうか聞いてほしい」
 
 
 
 
 そう前置きを置く新谷を前にして、莉子の内側には昔の憧れの影を覆ってしまうほどの張り詰めた緊張感が漂い始める。
 
 きっとこの日は、莉子の運命を変える特別な日になるはずだった。
 
 
 
 
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