あなたがすきなアップルパイ
結婚しよう――――……それは、莉子がずっと待ち焦がれていた憧れの王子様からのプロポーズだった。
ずっとこの胸に抱きしめて、憧れていた大好きな人のたった一人のお姫様になる夢。
それを今、目の前にいる大好きな恋人が、叶えてくれようとしている。
少女の頃に抱いた健気な夢を。本当に夢ではないだろうか?
「莉子。俺と結婚してくれるか?」
莉子も25歳になる。
結婚するには、そろそろいい年齢だと思う。周りの子達にはどんどん追い越されてきた。そろそろ自分の番なのだろう。
莉子は、まだ返事を迷っている。返事を焦らしてそろそろ新谷に不審がられてしまう頃だろう。それでもまだ、あのお店でやり残していることに気づく。
「……仕事のことがあるからか?」
新谷には見透かされていて、莉子はただコクリと頷いた。新谷に送る言葉をまだ用意できなくて、自身のテーブルの前に置かれたタルトに目線を置く。
カラメルに磨かれたタルトの表面を目に入れて、今日にも店長から任命されたばかりの企画の話が、頭に浮かんだ。莉子にとっては、とても名誉あることだ。
『Anna』のパティシエールとして働いてほんの数年だが、数ある同僚達の案の中で自分のものが初めて選ばれたことは、莉子の中に職人としての新たな活力を生み出してくれた。
そんな矢先のことで、目の前にある恋人に求婚されたことにはまだ気持ちが前向きにはなれなかった。
長年の夢が現実の形となるのを前に、怖気づいてしまう自身がいたのだ。
「莉子の気持ちも十分理解しているよ。莉子が今の仕事をとても大事にしているのはわかるんだ。けど、俺も真剣に将来のことを考えたいんだ」
余裕がない莉子の気持ちを汲んで、落ち着くように言葉を続けてくれるが、冷静な彼の言葉の裏には求婚した恋人への誠実な熱意が抑えきれずにいた。彼らしくもなく、感情的になる。
「俺は、真剣だよ。莉子。俺と一緒に付いてきてくれるなら、そばで支えてほしいんだ。君となら、この先も上手くやっていけると思う。向こうでもまたあのアップルパイを焼いてはくれないか」
あの夜にはぐらかした答えだと、新谷は言ってくれた。
莉子には嬉しくて、複雑だった。
ずっと、憧れていたはずなのに。
可愛いお嫁さんに。彼だけのお姫様に。
莉子は、自分がわからなくなる。
「……すぐには答えは出ないだろう。幸い発表が早期にあったから、出国まで時間はある。じっくり検討してほしい」
彼は、莉子には確かに勿体無いほど優しくて、賢くて、素敵な恋人だ。
「いい返事を待ってるよ。莉子」
それでも、彼はいじわるな人だ。