あなたがすきなアップルパイ
その翌日になると、またあのお客さんが店に来た。昨日と同じく閉店時間ギリギリに店のドアベルを鳴らして。
「これとこれと……あとアップルパイ」
「かしこまりました」
そして、翌日にもまた来た。
「これとアップルパイ」
「はい」
莉子が出勤する日には、もれなくあの男性のお客さんが現れて、その日の売れ残りを買い占めていった。
どんだけー。
莉子の出勤日と彼の来店日が偶然にも重なるようになり、次第に顔見知りになり、どちらともなく会釈をするようになり、なんとなく自然な流れで会話をするようになった。
「いつも彼女さんに買ってあげてるんですか?」
今まで不思議に思っていたことを口にすると、相手から訝しげな目で睨まれた。少し怖い。
「……え?」
「違いますか?」
「彼女なんていないけど」
「あれ? いつもあんなに買い占めて行くじゃないですか」
「買い占めてって……もっと他に言い方あるだろ」
機嫌を悪くした相手にすかさずお詫びをし、慌てて訂正する。
「すみません。そんなつもりじゃなくて、ええと、いつもお客様に購入いただいて感謝しているんです。朝早く店に来て作るお菓子が、売れ残ってしまう悲しいことがなくなったので」
彼がここの常連になってくれてからは、廃棄になる商品が殆どなくなり、莉子はいつか彼に一言お礼を言っておきたいと思っていたのだ。
「……これは自分で食べてるよ」
「え? これ全部ですか?」
「ああ」
真面目な顔で言うそのお客さんと目の前の華やかなお菓子を交互に見やり、そのあまりのギャップに目を丸める。
「嘘〜!?」
「嘘ついてどうするんだ。ほんとだよ」
「えぇ……だって、見えなっ……くくっ」
「笑うな。失礼な奴だな」
その人は至って大真面目に言っている。
しかし、どう見たって、こんなに甘いお菓子を彼が家で囲んでいる姿が想像できない。
むしろたくさんの女性に囲まれている方が、莉子の中でしっくりくる。白縁の眼鏡をかけていてもなかなかの色男だ。
「す、すみません。ちょっと……意外で」
「ちょっとどころではなさそうだが。男が甘い物好きではおかしいか?」
「いいえ。好きですよ。そういうの」
莉子も調子を戻すと、至って大真面目に言った。
今までは少し怖い人だなと思っていた彼のことだが、少しだけ身近に感じられた。それだけでも莉子は嬉しく感じた。自分でも単純である。
「はい。どうぞ」
注文されたお菓子をすべて箱に詰め終わり、レジの前でその人にお店オリジナルのデザインの箱を差し出す。
「お詫びにおまけしておきましたから。またいらしてくださいね」
彼の好きなアップルパイをもう一切れ多く箱に詰めて、彼に差し出した。
喜んでくれたら嬉しい、自分が一所懸命に作ったお菓子を喜んでくれたら……莉子は舞い上がる気持ちを笑顔に紛れて彼に向けた。
それだけでこの仕事への誇りが持てる。パティシエという仕事がもっと大好きになれるのだ。
ありがとう、初めてその一言を付け足して、お客さんはお店を後にした。
彼の一言はまるで莉子に魔法をかけるように、一日の疲れきった心はふわふわと幸せな気持ちになった。
まるで彼女が作るお菓子で、お客様を幸せにするように――――……。