あなたがすきなアップルパイ

「……あの、失礼ですが、店長にもそんな人がいたんですか?」
 
 この話の流れで、思い切って尋ねてみた。
 彼の凛とした目の奥には、素敵な運命の相手がいるんだろうか。莉子もつい確かめてみたくなったのだ。
 
 
「さあね」
 
 素っ気ない返事を返す。その様子は、どこか上の空のようにも見える。
 
 不思議そうに自分の顔を見つめる莉子に、御堂はこう続けた。
 
 
 
「変な話をするけど、その人にとっての幸せって、なんだろうって思うの。お姫様の幸せは、素敵な王子様と出逢って結婚することなのかしら」
 
 
 御堂が言う通り、それはおかしな話だった。
 それは莉子が昔から憧れた夢だった。大好きな人のお姫様でいられること。それは彼女にとって大きな幸福であることは間違いない。
 
 だけどこの結婚は、彼女の運命さえ変える大きな選択肢であることも事実だ。
 今ある小さな幸せを崩して、彼の胸に飛び込むことに、後悔はないだろうか。
 
 
 
「確かにどんなお姫様にも、素敵な運命の王子様がいるわ。でも彼女達の存在意義は、それだけなのかしら」
 
 
 莉子の存在意義なんて、考えたこともない。けれど今の莉子には、目の前で形が崩れてしまったお菓子と向き合うことに大きな意味があると思う。
 
 
 
「それをちゃんと自分の心に持っている娘は、誰よりも光の中で輝いていた。この箱の中に閉じ込められた煌びやかなお菓子より、ずっと……。その娘の目に映るこの小さな世界は、ずっと美しく輝いて見えたはずよ。そんな人が作るお菓子だからこそ、来てくれたお客様を最高の笑顔にできる」
 
 
 そんな話をする御堂は、どこか遠くの地平線を見つめるような目でふわりと微笑んだ。
 
 彼女にもなんとなくわかった。しかし、そんなことを確かめるのは、野暮だと思った。それでも自分のために、彼があまり話さない自分の話をしてくれたことが嬉しかった。
 
 
「この世界は物語じゃないし、結婚だけがハッピーエンドじゃない。莉子ちゃんにとっての最善の選択は、あなたにしか決められない。だから、自分が本当に大好きなことと向き合うのよ」
 
 
 
 崩れた莉子のお菓子と彼女を残し、御堂は表に掲げたCLOSEの札を下げに行った。
 
 彼のお節介な言葉を胸に受け止めて、莉子は崩れたお菓子を作り直すまで自分の中で何度も思考を巡らせた。大好きな彼との未来。憧れた夢。
 
 
 
 大好きだよ。この気持ちがどうか彼に届くお菓子になりますように、莉子は一人の厨房で黙々とお菓子を作った。
 
 
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