あなたがすきなアップルパイ
明日も来てくれたらいいな、莉子はなんとなくまた彼の顔が見たいと思った。
「お名前なんて言うんですか?」
「新谷享」
「じゃあ、新さんですね」
「0点」
「鬼かよ」
新さんは、仕事終わりに週に何度か来てくれるようになった。
彼が仕事帰りに寄ってくれるようになってから、莉子は遅い店番も待ちきれない時間になった。
「そっちの名前はなんて言うんだ?」
「それこの間のうちに聞いておくことですよね」
「下の名前は?」
「莉子。吉永莉子です」
「君には勿体無い名前だな」
「鬼畜かよ」
彼の甘いお菓子とはまったく正反対な冷徹さに落ち込むばかりの莉子であるが、彼の言葉には親しみのある優しさがあったから、彼女も本当は嫌じゃなかった。
「莉子。少し先に行きつけの店があるんだが、この後一緒にどうだ?」
いつものように遅い時間に店に来て、新さんはそう言った。
彼の注文を受けて、お菓子を出そうとした莉子の作業の手が止まる。雨に打たれた仔犬のようだと言われたこともあるぱっちりとした目を、傘を差し出すその相手に一心に向ける。
「……それ、デートってことでいいんですか?」
「……それで、返事は?」
「いじわる」
ショーウィンドウから少し身を乗り出して期待の目を寄せる莉子に、素っ気ない彼ははぐらかす。
でも、莉子を誘う目線は、恥じらいながら店内の脇に飾られた造花に逸らしている。いつも落ち着いた余裕のある彼の耳朶が、彼女への想いにほんのりと染まっている。
可愛い奴め、莉子は何度も彼の誘いに頷いて、お店にあるお菓子を詰めた。
「新さんの奢りですよ」
「当たり前だろ。さっさと支度して行くぞ」
いつもよりも素っ気ない態度だけど、莉子の仕事が終わるまで文句も言わず待ってくれる人柄の良さを彼女はもう十分知っている。
こんなことならもう少し可愛い服を着てくればよかったと、シャッターを降ろした店の前でデートの相手を待たせながら、莉子はバックヤードの鏡に映る自身の身なりを精一杯に整えた。
でも彼ならどんな自分でも受け入れてくれるような気がした。甘い物好きに悪い奴はいないものだ。
それから二人で行ったご飯の後、別れる前に新谷から交際を申し込まれ、付き合うことになった。
お互いに「新さん」「莉子」と呼び合う間柄になり、付き合ってからも彼は度々お店に遊びに来てくれて、ショーウィンドウに余る商品とアップルパイを必ず買ってくれた。