拾った彼女が叫ぶから
ダンス
「充分じゃないですか。できないよりできる方がいいでしょう」
「褒められた中身じゃないわ。仕方なく……でももう流石に四年も続くと慣れたものよ」
「マリアさんの手は、大事なものを守るために使っているんですね」
はっとマリアはルーファスを凝視した。自分の手と交互に見比べる。何度見ても自分の手は白魚のような手からは程遠い。かさつき、あかぎれはもちろん、掃除や庭仕事のお陰で指先は固くなっている。ふっくらと柔らかな淑女の手とは程遠い。
けれどルーファスの目には嘘は見当たらなかった。その場しのぎでも、お世辞でもなく、本当にそう思われているのだ。
王族が好むような在り方とは全く違うのに、ルーファスが嫌悪感を持たないことが意外で、マリアは驚きに声を失う。
不意に胸がきゅうと締め付けられ、そこから温かいものが満ちていくような感覚がして、マリアはそんな自分の反応に戸惑った。
「っ……ルーファスにしては良いことを言うのね」
「またまたマリアさんは。褒められたときくらい、素直に喜べばいいのに。ご家族のために頑張っているんでしょう?」
「……知ってるの? うちのこと」
「少しだけ。お父上が篤の厚いかただと」
ルーファスが眦を下げて微笑んだが、その様子から、彼が全て知っているのだろうなということはわかった。いつの間に調べたのだろう。
「馬鹿な親でしょう。天候が悪くて領民からの税を丸々免除した矢先に、騙されたりなんかして。結局国に納める額を工面できなかったんだから世話無いわよね」
「お優しい御両親ですよ。領民に慕われていたんじゃないですか?」
「……ルーファスくらいね、優しいだなんて言ってくれるの。みんな愚かだとか、騙される方が悪いんだとか、そんなことばかり言ったわ。だから取り潰されるのも仕方がないって。……でもそう言えば」
マリアはふと思い出した。
「一昨日も、そう言ってくれたわね」
「そうでしたか? 僕も意外に良いことばかり言っているみたいですね」
「茶化さないで」
『マリアさんは愚かなんかじゃないですよ』
三年の愛人期間のそもそもの始めから騙されていたマリアを、そう言って慰めてくれた。婚約発表の場で好意的でない笑いにさらされたマリアを、ルーファスだけが。
視界が滲みそうになって、マリアはそれを悟られないようにと素っ気なく返した。
「あの……ありがと」
「礼を言われるようなことはしていませんよ。でもマリアさんに感謝されるのは良い気分です」
「そうよね、一晩のお相手にちょうど良かっただけだもんね」
「一晩どころかもっとお相手して欲しいですよ。一昨日は最高に」
「ちょっと! 待って待って! 真昼間に言うようなことじゃないでしょう」
「最初に持ち出したのはマリアさんじゃないですか。それに本心ですし」
「そんなこと聞いてないから! やめてちょうだい。あれきりなんだから」
「マリアさんって、妙に世慣れてないというか……」
「悪かったわね。二十二にもなって、愛人までしていたいき遅れのくせに、恥じらうなって言うんでしょう」
「違いますって、そんなマリアさんが欲しいなって思うだけです」
「ほっ、欲し……干し……は?」
頭から湯気が立ち昇った。ルーファスはそんなマリアを甘く見つめると、駄目押しのごとく言葉を重ねる。
「マリアさんが欲しいな、もう一度」
身体に刻み込まれたあの男の記憶など全て粉々に砕いて彼女の中から消し去ってやりたい、とルーファスが腹の内でどす黒く考えていることなど、マリアにわかるはずもない。
直截な求めに返す言葉もなく、唇をわなわなと震わせるだけだ。
「いやよ」
「にべもない返事ですね……理由を聞いても?」
「もう懲り懲りだもの、また愛人なんて。私はルーファスのおもちゃじゃないわよ」
「愛人?」
「ルーファスは王子でしょう」
流石に自分の立場くらいはわきまえている。彼が雲上の人だということも理解している。
むしろ自分が今ここにいることの方が信じられない。
だからせいぜい自分に求められる役割は、王子殿下の良くて愛人、普通に考えれば娼婦といったところだろうか。そして、誰かの愛人という立場に未来がないことも、身に染みて知ったばかりだ。
「……愛人じゃなければ? 応じてくださるんですか?」
「からかわないで」
ルーファスの表情が真剣みを帯びて、マリアは逃げるように目を逸らした。取り繕うようにまた果実水に手を伸ばす。さっきは爽やかな柑橘の味がしたはずなのに、なぜだか今は感じられない。
「……すみません、困らせましたね。急ぎ過ぎたかな」
ルーファスが小さく笑った。何を急いだのかマリアにはいまいち理解できなかったけど、彼が引き下がってくれてほっと胸を撫で下ろした。
困るのは、ルーファスといると相手が王族という気があまりしないということだ。最初に肌を重ねてしまったからなのか、名前を呼べと強制されたからか、ついつい気が緩んでしまう。これは危険だと思う。って、そう言えば。
「──あっ」
「どうしました? お口に合わないものでも?」
「そうじゃなくて、──名前」
そうだ、マリアは呼び捨てにしているのに。うっかりしていた。
「敬称、やめてもらえる? その、私も名前で呼んでるのに」
「マリアさん?」
「だからそうじゃなくて……マリアって……呼んでください」
自分で言ってて恥ずかしくなって語尾が尻すぼみになる。
「いいんですか? 嬉しいな」
ルーファスがより一層目を細めてフォークとナイフを置いた。満面の笑み。眼差しはまっすぐマリアを捉える。
「──マリア」
「褒められた中身じゃないわ。仕方なく……でももう流石に四年も続くと慣れたものよ」
「マリアさんの手は、大事なものを守るために使っているんですね」
はっとマリアはルーファスを凝視した。自分の手と交互に見比べる。何度見ても自分の手は白魚のような手からは程遠い。かさつき、あかぎれはもちろん、掃除や庭仕事のお陰で指先は固くなっている。ふっくらと柔らかな淑女の手とは程遠い。
けれどルーファスの目には嘘は見当たらなかった。その場しのぎでも、お世辞でもなく、本当にそう思われているのだ。
王族が好むような在り方とは全く違うのに、ルーファスが嫌悪感を持たないことが意外で、マリアは驚きに声を失う。
不意に胸がきゅうと締め付けられ、そこから温かいものが満ちていくような感覚がして、マリアはそんな自分の反応に戸惑った。
「っ……ルーファスにしては良いことを言うのね」
「またまたマリアさんは。褒められたときくらい、素直に喜べばいいのに。ご家族のために頑張っているんでしょう?」
「……知ってるの? うちのこと」
「少しだけ。お父上が篤の厚いかただと」
ルーファスが眦を下げて微笑んだが、その様子から、彼が全て知っているのだろうなということはわかった。いつの間に調べたのだろう。
「馬鹿な親でしょう。天候が悪くて領民からの税を丸々免除した矢先に、騙されたりなんかして。結局国に納める額を工面できなかったんだから世話無いわよね」
「お優しい御両親ですよ。領民に慕われていたんじゃないですか?」
「……ルーファスくらいね、優しいだなんて言ってくれるの。みんな愚かだとか、騙される方が悪いんだとか、そんなことばかり言ったわ。だから取り潰されるのも仕方がないって。……でもそう言えば」
マリアはふと思い出した。
「一昨日も、そう言ってくれたわね」
「そうでしたか? 僕も意外に良いことばかり言っているみたいですね」
「茶化さないで」
『マリアさんは愚かなんかじゃないですよ』
三年の愛人期間のそもそもの始めから騙されていたマリアを、そう言って慰めてくれた。婚約発表の場で好意的でない笑いにさらされたマリアを、ルーファスだけが。
視界が滲みそうになって、マリアはそれを悟られないようにと素っ気なく返した。
「あの……ありがと」
「礼を言われるようなことはしていませんよ。でもマリアさんに感謝されるのは良い気分です」
「そうよね、一晩のお相手にちょうど良かっただけだもんね」
「一晩どころかもっとお相手して欲しいですよ。一昨日は最高に」
「ちょっと! 待って待って! 真昼間に言うようなことじゃないでしょう」
「最初に持ち出したのはマリアさんじゃないですか。それに本心ですし」
「そんなこと聞いてないから! やめてちょうだい。あれきりなんだから」
「マリアさんって、妙に世慣れてないというか……」
「悪かったわね。二十二にもなって、愛人までしていたいき遅れのくせに、恥じらうなって言うんでしょう」
「違いますって、そんなマリアさんが欲しいなって思うだけです」
「ほっ、欲し……干し……は?」
頭から湯気が立ち昇った。ルーファスはそんなマリアを甘く見つめると、駄目押しのごとく言葉を重ねる。
「マリアさんが欲しいな、もう一度」
身体に刻み込まれたあの男の記憶など全て粉々に砕いて彼女の中から消し去ってやりたい、とルーファスが腹の内でどす黒く考えていることなど、マリアにわかるはずもない。
直截な求めに返す言葉もなく、唇をわなわなと震わせるだけだ。
「いやよ」
「にべもない返事ですね……理由を聞いても?」
「もう懲り懲りだもの、また愛人なんて。私はルーファスのおもちゃじゃないわよ」
「愛人?」
「ルーファスは王子でしょう」
流石に自分の立場くらいはわきまえている。彼が雲上の人だということも理解している。
むしろ自分が今ここにいることの方が信じられない。
だからせいぜい自分に求められる役割は、王子殿下の良くて愛人、普通に考えれば娼婦といったところだろうか。そして、誰かの愛人という立場に未来がないことも、身に染みて知ったばかりだ。
「……愛人じゃなければ? 応じてくださるんですか?」
「からかわないで」
ルーファスの表情が真剣みを帯びて、マリアは逃げるように目を逸らした。取り繕うようにまた果実水に手を伸ばす。さっきは爽やかな柑橘の味がしたはずなのに、なぜだか今は感じられない。
「……すみません、困らせましたね。急ぎ過ぎたかな」
ルーファスが小さく笑った。何を急いだのかマリアにはいまいち理解できなかったけど、彼が引き下がってくれてほっと胸を撫で下ろした。
困るのは、ルーファスといると相手が王族という気があまりしないということだ。最初に肌を重ねてしまったからなのか、名前を呼べと強制されたからか、ついつい気が緩んでしまう。これは危険だと思う。って、そう言えば。
「──あっ」
「どうしました? お口に合わないものでも?」
「そうじゃなくて、──名前」
そうだ、マリアは呼び捨てにしているのに。うっかりしていた。
「敬称、やめてもらえる? その、私も名前で呼んでるのに」
「マリアさん?」
「だからそうじゃなくて……マリアって……呼んでください」
自分で言ってて恥ずかしくなって語尾が尻すぼみになる。
「いいんですか? 嬉しいな」
ルーファスがより一層目を細めてフォークとナイフを置いた。満面の笑み。眼差しはまっすぐマリアを捉える。
「──マリア」