拾った彼女が叫ぶから
夜。マリアがルーファスを案内した場所とは、オルディス家のタウンハウスであった。
「ここ、ですか?」
怪訝な顔でそろそろと出窓から首を突き出したルーファスに、屋根の上から「そうよ! 上がってきて」と心もち声を張り上げた。
傍らにはルーファスの脇をすり抜けて先にマリアの横に腰を落ち着けた猫のナァーゴの姿がある。
もはや貴族でもないマリアに同行することにルーファスの周囲が渋ったことは、出発が遅くなったことからも察せられた。それでも何とか了解を得てきたのだから、彼はなかなか周りを言いくるめるのが上手そうだ。それとも他の理由があるのだろうか。
ルーファスを連れたマリアが戻ると、母親が諸手を挙げて歓迎した。ルーファスもまた人の良い笑みを絶やさないからかすっかり打ち解けたひと時を過ごした。一度マリアが食事の準備に下がる直前、ルーファスが母に何か耳打ちしていたがあれは何だったんだろう。随分と母親が驚いていたようだったので、後で聞いてみよう。
とにかく、慎ましい晩餐を終えた後に彼を連れてきたのは、マリアの私室のちょうど上にあたる……屋根上であった。
「大丈夫よ、下はバルコニーがあるから落ちたとしても地面に激突ってことにはならないし」
笑って促すと、ルーファスもひょいっと出窓に足をかけて屋根を上ってくる。猫を挟んでマリアの隣に座ると徐々に深まる夜空を見上げた。
「静かですね」
「でしょう? 月が近くに見えると思わない? ここが私のとっておきの場所なの。両親も私がまさか屋根の上にのぼっているだなんて思ってもいないわ」
夜空にぽつぽつと星が瞬く。遠く遠く、貴族のタウンハウスの屋根が黒く並ぶ上を、薄い闇が広がる。視界の下方に見える木々も、今は黒く見える。葉が落ちているのだろう、鋭くもみえる枝の輪郭が時おり風にそよぐ。
遠くからかすかに耳に届くのは、馬車が石畳を走る音、鐘の音。
「ナァ──」
「ああ、ナァーゴ、ごめんね? あなたの紹介が遅れたわ。ルーファス、この猫ね、ナァーゴって言うの。ここに来るときの私の相棒」
「ナァ──」
ナァーゴはいつもと勝手が違うからか、ルーファスに向かって毛を逆立てている。フーッと睨みつけるナァーゴを、マリアは抱き上げた。
「ナァーゴ、お客さんにそんな顔しないの。可愛い顔が台無しよ?」
「マリアの飼い猫なんですか?」
「ううん、違うのよ。普段はこの辺りをうろつき回ってるみたい。でもちょくちょくチーズをあげるから」
言いながらマリアはポケットに忍ばせたチーズをナァーゴの前に差し出した。ナァーゴは今日もふんふんとその匂いを確かめてから、食事にありつく。
「ここにも来てくれるようになったの」
「よくマリアになついていますね」
「でしょう。もう一年以上は経つかな……。ここでナァーゴ相手にお喋りするのが、私のストレス発散法なのよ。ここならだれにも聞かれる心配もないし、空気は気持ちいいし、静かだし、空は綺麗だし。太陽が沈むときも綺麗なのよ。ここからは反対側になるけど、ちょうど王宮の塔にも太陽が刺さっていくみたいに見えてね、いつまでもぼんやり見ていたりする」
「いいですね」
「でしょう? 小さな頃から何かあるとここに昇っていたの。うちの両親は二人とも優しい人だけど、特にお父様は怒ったら怖いの。怒られたときにはいつもここで膝を抱えてたわ。そしばらくすると姉様が様子を見に来てくれて、二人でお喋りして。子供の頃はまだナァーゴは居なかったから、ここはずっと私と姉様だけの場所だった」
「ここ、ですか?」
怪訝な顔でそろそろと出窓から首を突き出したルーファスに、屋根の上から「そうよ! 上がってきて」と心もち声を張り上げた。
傍らにはルーファスの脇をすり抜けて先にマリアの横に腰を落ち着けた猫のナァーゴの姿がある。
もはや貴族でもないマリアに同行することにルーファスの周囲が渋ったことは、出発が遅くなったことからも察せられた。それでも何とか了解を得てきたのだから、彼はなかなか周りを言いくるめるのが上手そうだ。それとも他の理由があるのだろうか。
ルーファスを連れたマリアが戻ると、母親が諸手を挙げて歓迎した。ルーファスもまた人の良い笑みを絶やさないからかすっかり打ち解けたひと時を過ごした。一度マリアが食事の準備に下がる直前、ルーファスが母に何か耳打ちしていたがあれは何だったんだろう。随分と母親が驚いていたようだったので、後で聞いてみよう。
とにかく、慎ましい晩餐を終えた後に彼を連れてきたのは、マリアの私室のちょうど上にあたる……屋根上であった。
「大丈夫よ、下はバルコニーがあるから落ちたとしても地面に激突ってことにはならないし」
笑って促すと、ルーファスもひょいっと出窓に足をかけて屋根を上ってくる。猫を挟んでマリアの隣に座ると徐々に深まる夜空を見上げた。
「静かですね」
「でしょう? 月が近くに見えると思わない? ここが私のとっておきの場所なの。両親も私がまさか屋根の上にのぼっているだなんて思ってもいないわ」
夜空にぽつぽつと星が瞬く。遠く遠く、貴族のタウンハウスの屋根が黒く並ぶ上を、薄い闇が広がる。視界の下方に見える木々も、今は黒く見える。葉が落ちているのだろう、鋭くもみえる枝の輪郭が時おり風にそよぐ。
遠くからかすかに耳に届くのは、馬車が石畳を走る音、鐘の音。
「ナァ──」
「ああ、ナァーゴ、ごめんね? あなたの紹介が遅れたわ。ルーファス、この猫ね、ナァーゴって言うの。ここに来るときの私の相棒」
「ナァ──」
ナァーゴはいつもと勝手が違うからか、ルーファスに向かって毛を逆立てている。フーッと睨みつけるナァーゴを、マリアは抱き上げた。
「ナァーゴ、お客さんにそんな顔しないの。可愛い顔が台無しよ?」
「マリアの飼い猫なんですか?」
「ううん、違うのよ。普段はこの辺りをうろつき回ってるみたい。でもちょくちょくチーズをあげるから」
言いながらマリアはポケットに忍ばせたチーズをナァーゴの前に差し出した。ナァーゴは今日もふんふんとその匂いを確かめてから、食事にありつく。
「ここにも来てくれるようになったの」
「よくマリアになついていますね」
「でしょう。もう一年以上は経つかな……。ここでナァーゴ相手にお喋りするのが、私のストレス発散法なのよ。ここならだれにも聞かれる心配もないし、空気は気持ちいいし、静かだし、空は綺麗だし。太陽が沈むときも綺麗なのよ。ここからは反対側になるけど、ちょうど王宮の塔にも太陽が刺さっていくみたいに見えてね、いつまでもぼんやり見ていたりする」
「いいですね」
「でしょう? 小さな頃から何かあるとここに昇っていたの。うちの両親は二人とも優しい人だけど、特にお父様は怒ったら怖いの。怒られたときにはいつもここで膝を抱えてたわ。そしばらくすると姉様が様子を見に来てくれて、二人でお喋りして。子供の頃はまだナァーゴは居なかったから、ここはずっと私と姉様だけの場所だった」