拾った彼女が叫ぶから
 ちょうどその頃。ルーファスはパメラ、改めエミリア女王と正にシュヴェルツフト城で面会していた。
 ひと目その姿を見て、ルーファスはこれまで実感のなかったその存在が急に現実となったことを思い知った。

「大きくなったんですね、ルーファス」
「お初にお目にかかります。……母上」

 ルーファスはこれまでずっと避けてきた存在を初めて正面から受け止めた。
 一度も会うことのなかった母、エミリア。王族なら普通は他国の王族についても幼い内に教わるものだが、ルーファスにはそれらの知識がほとんどない。外交の場に連れられた経験もないため、これが母の顔を見る初めての機会だった。
 その麦の穂のような色の髪も、琥珀の瞳も、そのままルーファスに受け継がれていた。ずっと兄妹とは違うこの色をうとましく思っていたが、やはり自分はこの人の血を引いているのだと実感する。不思議な感慨でもって、ルーファスはその女性に見入った。

「座って? ゆっくり話をしましょう、ルーファス」
「いえ、長居をする気はありませんので」
「冷たいのね」

 ルーファスを産んだとき彼女は十六だったというから、今は三十六のはずだった。それなのに目の前に座る彼女はどこか少女めいている。既に子を産んだ──ルーファス以外にもという意味で──身であるはずなのに、その琥珀の目はルーファスと違って純粋な輝きに満ちているような気がした。

「あなたは良く泣く赤ん坊だったのにね。もうこんなに」
「昔話はよしてください。あなたと僕の間には話す思い出もないのですから」

 ──懐かしむのはやめてくれ。白々しい。
 ルーファスは彼女の言葉を遮った。涙の再会などくだらない。それに長くヴェスティリアを離れる気はないのだ。イアンが自分の仕掛けた通りに動いたとしたら、事が起きるのは自分が不在の間である。マリアは無事だろうか。

 マリアに会いたい。目の前のエミリアは歳を感じさせない綺麗な女性だが、それだけだ。それよりも裏のない彼女と話す方がどれだけ良いだろう。
 今ここに彼女が居ればどんなに心強かっただろう。
 煉瓦色の髪も、アメジストの瞳も、いつも自分に強く訴えてきて目が離せなかった。その瞳はつぶらで、突っかかってくるときでさえ爛々として細く小柄な身体を補うようにいつも強気で生き生きとして。
 彼女は自分を飾らない、相手を探らない。だからルーファスはいつも彼女の前では肩の力を抜いていられた。

 目の前の人は心なしかやつれているようだ。マリアとは正反対だった。

「あの人は元気?」
「父上ですか……ええまあ、それなりに」
「そう、良かったわね」

 乾いた声だ。エミリアが目を伏せ、結い上げた髪から零れ落ちる後れ毛をつといじった。

「母上は」
「あなたも見てきたでしょう、ここへ来る途中で。今はどこも殺伐としているわ。外からは虎視眈々と国を狙われ、内からはあからさまに王位を狙われている。私に男子がいないせいでね」
「トゥーリスは大国なのですから、そうやすやすと外憂に屈することはないのでは?」
「大国だからこそ、よ。些細な綻びで簡単に転がり落ちるわ。今の私みたいにね」
「だからと言って僕がそう都合良く動くとお思いですか。何度もお断りしたはずでしょう」
「仕方ないのよ。私はこの政情を招いた張本人だもの。娘たちはまだ幼いし、立て直すにはあなたしか適任がいないのよ」
「ずいぶんと僕を買いかぶっておいでですね」

 エミリアは疲れた様子を隠さずに再びルーファスを見上げると、自身も移動しながら彼を応接セットに促した。仕方なしにルーファスもカウチソファに腰を下ろす。雪深いイズダールの冬を彩るためか、ソファは臙脂色に国花であるオルレアを模した深緑と金の刺繍が施され、暖かみのあるものだ。城の外観の剛健さとは対照的に、執務室の壁には歴代国王の自画像や宗教画などが飾られてもいる。
 タイミング良く、腰を下ろした二人の前に香り高い茶が用意される。ルーファスは笑顔を向けつつ、わずかに眉を上げた。長居をする気はないのだが。
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