最後の男(ひと)
「一香。ここからは真面目な話な。俺と結婚するつもりない?」

「……はい?」

思わず、掴みかけたグラスを落としそうになる。それくらい、先輩は突拍子もないことを言っているのに、その瞳は真剣な色をしている。

「だから、俺と結婚してみない? 俺は一香がOKなら決められるよ」

いくら会社で一緒に働いた経験があるからといって、付き合った事もいない相手からプロポーズされる日が来るとは思いもよらなかった。

「入社して早々、職場にセックスを持ち込むなと私に言ったのは先輩ですよ」

「お~、それな。おまえ、きちんと守ってたのか? えらいな」

感心して頷いている先輩に間髪入れず疑問を投げかける。

「なんで色々飛ばして、急に結婚なんて話になったんですか? しかも私と」

「それは、最初から一香のこと可愛いなって思ってたし、教育担当で付いたときから好きだったよ」

「それ、適当に今考えましたよね」

端正に整った顔でにっこり笑って言われても訝しいだけだ。

「おまえが理由を欲しがるからだろ」

「だって、先輩がそんなこと言うの、狐につままれたみたいで」

仕事ができて、年中女の噂に事欠かない色男でモテ男は?と社内で議題に上がったとしたら、それは間違いなく町屋先輩のことだ。
先輩は、ルックスだけじゃなくて中身も男前なイケメンだ。情熱と人望で、ぐいぐい周囲を引っ張っていくタイプ。そういう男は、自分と正反対の守りたくなるタイプの女子がお好みなのかと思っていた。だから、男よりも仕事を取って振られるような私をどうして相手に選んだのかが腑に落ちない。
女子社員の誰もが憧れる町屋先輩からプロポーズされていること自体が凄いことだというのは分かっている。
でも、どうして私?と、いくら考えても堂々巡りになってしまう。

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