アンニュイな彼
「先生、勝手に使っても大丈夫なんですか?」


私はキョロキョロと周囲を見回す。
物音ひとつしない。誰もいないようだ。


「怒られないですか?」


質素な棚からカップをふたつ出した先生は、淹れたてのコーヒーを注ぐ。


「あの、先せ」
「怒られるって、誰に?」


しつこい私に業を煮やしたように言う。
コーヒーの香ばしい香りが、室内に充満している。


「え? 誰って……そりゃ、先生に」


私が答えると、先生は途方もないくらい長い溜め息を吐いた。


「俺が、先生だけど。」
「あ、そでした……」
「……」
「はは」


……あ、呆れてる?

でも、まだ私が訝るように見つめるのをやめないから、致し方なくといった風に「まあ、特権。」と呟いて、先生はひとつのカップを私に手渡した。

ただの白い、とてもシンプルなカップだった。


「ありがとうございます。あの、とっけん? って、どういう意味ですか?」
「……雨降ったら、あそこで昼寝できないでしょ?」


溜め息交じりで言って、先生は白いシャツの胸元のポケットからここの建物の鍵をチラッと取り出してみせる。


「は、はあ……」


あそこって、いつも昼寝してる昇降口のとこだよね。確かに雨が降ってたら昼寝はできないだろうけれど。

特権? が、なんのことだかよくわからないけど、鍵を持ってるくらいだからここの火元責任者とかなのかしら?

なんにせよ、先生とこうしてふたりきりでコーヒーを飲めて、授業中ですら聞いたことないくらいの長いセリフで会話できるなんて。
信じられないくらいラッキーな展開。


「先生、そういえばいつも使ってたタンブラーはどうしたんですか?」
「壊れた」
「へえ……だからここで、コーヒーを?」


今のは一応質問だったんだけど、華麗に無視されたので私の独り言になった。
全然想定内だから、いいんだけどね。
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