アンニュイな彼
「おいっ、今日は定休日だぞっ! 表の看板ちゃんと見てんのか⁉︎」


一緒に入ってきた強風に負けない智兄の怒声に、一番肩を跳ね上がらせて驚いたのは森宮さんだった。


「私、まだ先生のことが、好きだから……」


肩を小さくして、項垂れる。

てっきり営業中だと勘違いしたお客さんが、智兄の罵声にびびってドアを閉じ、すぐさま出て行ったとばかり思っていた私は、こちらに近づいて来る黒い影の正体に気づかなかった。
涙で視界が潤むから、余計に。


「そういうことなら、奪う手間が省けたな」


……へ?

私は床に落ちてゆく自分の涙の粒を見つめる。ぴちゃんと跳ね、床に浸透して染みていく様がやけにスローで見えた。

じんわりと顔を上げると、智兄はだらしなく口を半開き、現れた人物を見上げている。


「さ、笹原先生⁉︎」


私は何度も瞬きをして、視界を出来るだけクリアにして見上げた。



「せ、せんせ……?」


どうしてここに……。

それに、〝奪う〟って?

まってくもって訳が分からない。頭の中は真っ白で、脳が全然機能しない。

そんな使い物にならない抜け殻のような私の肩を抱いた先生は、鋭く睨むような目で智兄を見下ろした。
そのとき、ホッとしたようにひとつ息を吐いたのを、私は見過ごせなかった。

ぴちゃん、とまた一粒、雫が床に垂れる。
今度のは私の涙じゃない。先生の、髪から落ちた雨粒だ。


「……っ」


__先生?

平気な顔してるけど、もしかして。
ここに急いで来たんですか……?
傘も差さずに。
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