Anna
仮退院の日。病院を出ると、久しぶりに外の空気を肺いっぱいに吸った。風はまだ夏の匂いを感じさせる。
一人の病室でこれからの希望を描いて完成させたレシピを持って、幼馴染みにサプライズで会いに行くため、最寄り駅に向かう。
緩い坂道の歩道を下っている途中で、ボールを持って近くの公園に向かう子供達とすれ違う。まるで昔の二人を見ているようで、あの頃の懐かしい記憶が蘇る。杏奈はクスリと微笑んだ。
土曜日の昼下がり。太陽が熱いと感じる。薬の作用で身体の痣は消えたが、少し歩くだけで息切れをする。人通りの多い駅に着くと、休みの日の人混みに少し気分が悪くなる。
白線の前で、電車が来るのを待っていた。先頭で待っていると風が強く感じる。
早くあのお店で待つ幼馴染みに完成したレシピを見せたい気持ちがうずうずしている。右肩にかけたバッグを固く握り、彼の反応を想像して楽しんだ。
ホームの電光掲示板に、まもなく車両が到着することを報せる。その頃になれば、先程よりホームに溢れる人の流れは激しくなる。通り過ぎる人々の足音に敏感になる。周囲の空気が濁ったように感じて、息が噎せる。
電車が徐々に近づく音が、鼓膜を鋭く劈く。乾いた風が、彼女の髪や服の袖口を揺らした。
ふと彼女の手を離れた白い紙の束が、青い空に舞い上がる。思わず杏奈は手を伸ばした。
気がつくと、目の前に線路が見える。肩にかけたバッグの中身がそこに飛び出していく。ファンと視界が光り、車輪が甲高く軋む音が響く。
誰よりも弱くて優しかった幼馴染みの笑った顔が、彼女の脳裏に過ぎる。
世界が一瞬光ると、彼女の世界は真っ黒に塗り潰された。