Anna
深夜の病院内の廊下に激しい靴音が響く。
静まり返る院内を自慢の髪を振り乱しながら、病院の関係者が止める声を押し退けて、慧はあの娘が運ばれた部屋に向かう。その報せを受けたのは、日付が変わる頃だった。
あのお店で、一人杏奈が来るのを待っていた。きっと彼女が一番にここに来ると、逆に脅かしてやろうと思っていたのに、彼女は来なかった。心臓がざわついた。
いつまでも来ない彼女を待ち続けていると、夜遅くに彼女の両親から連絡があった。電話に出ると、彼女の母親の声がわなわなと震えていた。
背後で看護師が何かを叫んでいたが気にもとめず、彼女が待つ部屋の扉を押し開ける。部屋の中は薄暗い。部屋を僅かに照らす燭台の前には、白い布を被せられた身体が横たわっている。
「あ……」
白い布に全身を隠されても、それがあの娘だとわかった。変わり果てた大好きな人の姿。
「杏奈……?」
名前を読んでも、あの娘は何も答えてくれない。あの笑顔はどこにもない。
機会を窺ったように担当医と数名の関係者が慌ただしく部屋に入って来た。恐らく突然病院に押しかけた慧を止めようとした看護師が通報したのだろう。崩れ折る彼を見ると、他の関係者を追い払い彼をこの場に残した。
「誠に残念ですが……遺体の損傷が激しく、あまり見ない方がよろしいかと」
彼の心情をその医師は察するように、それでも覆せない残酷な現状を突きつけるしか、すでに尽くす手立てはない。
「申し上げにくいのですが、現場に居合わせた方の証言では、杏奈さんが自分から線路に飛び降りていったと……もしかしたら今後長く病気と付き合っていかざるを得ないご自身の人生を悲観していたのやもしれません」
淡々と説明されても、納得がいかなかった。
一昨日まで杏奈の笑顔を見ていたのに、これからの夢を語っていた娘は、もう息をしていない。冷たいベッドの上で、その口で夢を語ることは二度とない。
彼は、幼馴染みの最期さえ見届けることができなかった。
「まもなくご両親が、岸田杏奈さんのご遺体を引き取りに来られますが、今後のことに関しては……」
すべての音が遠のいていく。
彼の世界からすべての光が閉ざされた。
純白の下に伏せられたあの娘の最期の顔と、向き合う勇気が出なかった。
神様は、どうして意地悪するの?
やっと前に進めるはずだった。あの娘と一緒に。