桜色の雪が降る
大切な何かを失ったとき、人はそれを求めて羽ばたこうと背を伸ばす
甘酸っぱい海
第9話 甘酸っぱい海
飛行前に感じた不安はいつの間にか消え去っており、着陸まではなんのイベントもなくただ喋ったり景色を見たりで終わった。
もっと言えば、ずっと同じ景色が続く空の旅は案外退屈なものでもあった。
初見の感動というのはすぐに消滅し、数枚の写真にその感動を収めただけで満足した。
小雪に送った1枚はその中でも最高のものだ。
ナンパ男は七海さんと特に揉めることもなく、普通に会話を楽しんでいたようだ。目障りである。
この学校の女子と無縁な僕は修学旅行に、淡い期待などこれっぽっちもしていない。
さて、無事着陸した僕らは新潟とは全く別の環境に驚かされていた。
街ゆく人々は肌の色も服の色も色とりどりだ。
見える建物はどれも立派なものだが、東京にたたずむビルとはまた別なものに感じた。
独特な文化が僕らを魅了する。
景色に見惚れながらバスでホテルへ向かう。
バス内では化粧をバッチリ決めたガイドさんが、方言を交えながら移り変わる景色の説明をしてくれた。
「はーい。皆さんお疲れ様でした!ここが皆さんの宿泊するホテルでございます」
ガイドさんや運転手に挨拶をして各部屋へと向かう。
女子は4階、男子は3階といった少々不満な割り振りだが、女子贔屓は今に始まったことではないので口には出さない。
地震が来たら下の階の方が安全だし。
などと思っていた。
「おい!ここの水出ないぞ!」
叫んだのは原西だった。
先生に報告し、確認を行った結果、今日明日では治らないとのことだ。従って僕らはたまたま空いていた4階の部屋を使うことになった。
それも隣室には七海さんと立花がいるはずだ。
淡い期待などこれっぽっちもしていない。
何も無い。そのはずだ。
女子の皆に怪しまれては困ると智樹の提案で、クラスLINEでの連絡を行った。
ナンパ男が羨ましがるのは目に見えてわかっていたが、まさか4階まで上がってくるとは誰も思っていなかっただろう。
すぐさま追い返し、先生に自室への友達の連れ込みの有無を聞く。
当然のごとくノーが出た。
男子全員が部屋に押し入るなんてこともありそうだからだ。
そうこうしている間に午後5時を回り、夕食の時間までおよそ1時間となった。
大浴場への出入りは基本的に自由ということで、智樹、原西、酒井の3人は湯船に浸かりに行った。
人に裸を見られることに抵抗のある僕はやめておくことにした。
現在、とてつもなく暇である。
何をしようかと思考を巡らせるが、特に思いつかない。
小雪もまだ学校だろうし荷物の整理も終わった。
ふと風呂を見る。
どのみち1人で入浴するのだから、智樹たちがいない間にゆっくり浸かろうという考えに至った。
素晴らしいことに浴槽とシャワーは別だった。
湯が湧くまで10分程度らしいので自販機に飲み物を買いに行くことにした。
エレベーターまで歩くと左を長くしたアシメの背の低い女の子が立っていた。
手には薄ピンクの長財布を持っていることから、目的は多分同じだろう。
向こうもこちらに気がついたようだ。
一瞬だけこちらを向いて目が合うとすぐ逸らす。
デジャヴを感じる。
ここまで来て引き返すというのはあまりにも不自然であり、七海さんの捉え方によっては僕が避けているようにも見えてしまう。
ここは気まずさを乗り越えるしかない。
彼女の隣に黙って佇む。
エレベーターの回数表示をみるとまだ2階と書かれてあった。
1秒がとても長く感じる。
精神と時の部屋にいるみたいだ。
こういう時、ナンパ男ならなんて言うのだろうか。
一緒に行こうとでもいうんだろうか。
彼は少し行き過ぎている為にナンパと見られるだけであって、もう少し節度を持てば智樹のような誰とでも接することの出来る人気者になれるのではないか。
そんなことを考えているうちにエレベーターのドアが開いた。
先に僕が入り、彼女が乗らないうちに扉が閉まらぬよう開のボタンを押し続ける。
「あ……ありがとう」
静かな声でそう呟いたのが聞こえた。
「どう……いたしまして」
会話にもならないぎこちなさだ。
つくづくヘタレだと感じる。
1階のボタンを押そうと思った刹那、大切なことに気がついた。
「何回で降りるの?」
「1階しかないわ」
「あ……」
2階からは客室なのだ。
なんて馬鹿な質問をしたのだろう。何も大切ではなかった。
というか、さっき自分で推測していたではないか。
「優しいのね」
「え……?」
彼女は俯いたまま僕にとっては勿体無いことを言った気がした。
聞き間違えだろうか。
「優しいのね。あなたは、よく人のことを見ているわ」
それってどういう意味ですか。
ストーカーってことですか。
「そ、そんなことないよ!犯罪者じゃないんだし……」
「そういう意味じゃなくて」
「つまり?」
「周りをよく見ているということよ。気遣いのできる良い人だと思うわ」
彼女は顔を上げて僕を見つめた。
整った顔に劣等感を覚えるのと同時に羨ましいものにも感じた。
ぱっちりとした瞳に映る僕はどこか悲しげで、悔しそうだった。
鏡の中の僕とは裏腹に、瞳の中の僕を見つめる自分の心は高鳴り、緊張していた。
美しい顔立ち、潤う瞳、オリジナルに仕上げた特徴的なアシメ。
それら全てにひかれるものがあった。
背は僕が理想とする150cm前後。
完璧な女の子だと思った。
しかし、彼女越しに見る僕はどこか切なそうだった。
「ははは。お世辞をどうも。それより、自販機に行くんだよね?」
無理矢理気持ちを切り替えて話を逸らす。
「違うわ。売店に行くのよ」
「そうか。売店もあるのか」
「人のことはよく見るくせにそういう所は見ていないのね。変態だわ」
「さっきと言ってること違くない!?」
僕への扱いが悪くなってきた気がする。
原西や酒井に小馬鹿にされた時のように自然に突っ込みを入れてしまった。
彼女はそんな僕を見て小さく肩を震わせていた。
「面白い人だわ」
また僕の方を見た。
空港ではほとんど俯いていて関わりにくい感じの彼女だったが、今ではその面影は全くない。
意外と人懐っこいのかも知れない。
「あなた……ごめんなさい。元利くんも売店にしたら?」
「そうだね。そうしようか」
売店には見たことのない飲み物やお菓子が置かれていた。
どれを買おうかかなり迷った僕と七海さんだったが、結局2人で色々なものを買ってみて分け合おうということになった。
こんな積極的な提案を出したのは勿論僕ではない。
これまた予想外なことに七海さんのアイデアだ。
売店のおばちゃんに、
「お幸せにね」
と言われながら店を後にし、自室へと戻った。
「今は智樹たち風呂に行ってるから誰もいないよ。入る?」
「そうね。早く食べたいわ」
言った後に気がついた。
凄まじく卑猥な誘いで、ものすごく淫乱な返答であったと。
レジ袋に積み込まれた約1000円分のお菓子を机に並べ、智樹たちが帰ってくる間にどれを食べようかと意見を出し合った。
結局スナック菓子1袋と缶ジュース1本を2人で分け合うことにした。
もちろんジュースはコップに開けて飲んだ。
ジュースにはシークワーサー味と書かれていたが実際にシークワーサーを食べたことがない僕と彼女は微妙な表情を浮かべた。
「なんか、マスカットを酸っぱくしたみたいな感じだよね」
「うん。最初は酸っぱいけど慣れたら結構イケるわ」
気に入ったのか半分以上彼女が飲んでしまった。
スナック菓子は袋の表記がこっちと違うだけで普通の塩味のポテトチップスだった。
一通り食べ終わったタイミングで風呂が湧いた。
「もうお風呂に入るの?」
「その予定だったけどね。まだ話せるなら話そうか」
自分はお風呂に入るからそれじゃあねなんて言うほど適当な男ではない。
酒井ならワンチャンありそうだが。
「迷惑になるわ。私も飛香を待たせてるから」
「立花のことか」
「クラスメイトの名前くらい覚えておいたほうがいいと思うのだけど……あ、でもナンパ男くんの名前は分からないわ」
「あー、あいついつもそう呼ばれてるからなー……」
「とりあえず、付き合ってくれてありがとう。残りの分はまた時間が合う時にでも食べましょう」
「そうだね」
また会う約束をして短いデートを終えた。
少しの時間だったが、そのひとときはシークワーサーよりも甘酸っぱいものとなった。
飛行前に感じた不安はいつの間にか消え去っており、着陸まではなんのイベントもなくただ喋ったり景色を見たりで終わった。
もっと言えば、ずっと同じ景色が続く空の旅は案外退屈なものでもあった。
初見の感動というのはすぐに消滅し、数枚の写真にその感動を収めただけで満足した。
小雪に送った1枚はその中でも最高のものだ。
ナンパ男は七海さんと特に揉めることもなく、普通に会話を楽しんでいたようだ。目障りである。
この学校の女子と無縁な僕は修学旅行に、淡い期待などこれっぽっちもしていない。
さて、無事着陸した僕らは新潟とは全く別の環境に驚かされていた。
街ゆく人々は肌の色も服の色も色とりどりだ。
見える建物はどれも立派なものだが、東京にたたずむビルとはまた別なものに感じた。
独特な文化が僕らを魅了する。
景色に見惚れながらバスでホテルへ向かう。
バス内では化粧をバッチリ決めたガイドさんが、方言を交えながら移り変わる景色の説明をしてくれた。
「はーい。皆さんお疲れ様でした!ここが皆さんの宿泊するホテルでございます」
ガイドさんや運転手に挨拶をして各部屋へと向かう。
女子は4階、男子は3階といった少々不満な割り振りだが、女子贔屓は今に始まったことではないので口には出さない。
地震が来たら下の階の方が安全だし。
などと思っていた。
「おい!ここの水出ないぞ!」
叫んだのは原西だった。
先生に報告し、確認を行った結果、今日明日では治らないとのことだ。従って僕らはたまたま空いていた4階の部屋を使うことになった。
それも隣室には七海さんと立花がいるはずだ。
淡い期待などこれっぽっちもしていない。
何も無い。そのはずだ。
女子の皆に怪しまれては困ると智樹の提案で、クラスLINEでの連絡を行った。
ナンパ男が羨ましがるのは目に見えてわかっていたが、まさか4階まで上がってくるとは誰も思っていなかっただろう。
すぐさま追い返し、先生に自室への友達の連れ込みの有無を聞く。
当然のごとくノーが出た。
男子全員が部屋に押し入るなんてこともありそうだからだ。
そうこうしている間に午後5時を回り、夕食の時間までおよそ1時間となった。
大浴場への出入りは基本的に自由ということで、智樹、原西、酒井の3人は湯船に浸かりに行った。
人に裸を見られることに抵抗のある僕はやめておくことにした。
現在、とてつもなく暇である。
何をしようかと思考を巡らせるが、特に思いつかない。
小雪もまだ学校だろうし荷物の整理も終わった。
ふと風呂を見る。
どのみち1人で入浴するのだから、智樹たちがいない間にゆっくり浸かろうという考えに至った。
素晴らしいことに浴槽とシャワーは別だった。
湯が湧くまで10分程度らしいので自販機に飲み物を買いに行くことにした。
エレベーターまで歩くと左を長くしたアシメの背の低い女の子が立っていた。
手には薄ピンクの長財布を持っていることから、目的は多分同じだろう。
向こうもこちらに気がついたようだ。
一瞬だけこちらを向いて目が合うとすぐ逸らす。
デジャヴを感じる。
ここまで来て引き返すというのはあまりにも不自然であり、七海さんの捉え方によっては僕が避けているようにも見えてしまう。
ここは気まずさを乗り越えるしかない。
彼女の隣に黙って佇む。
エレベーターの回数表示をみるとまだ2階と書かれてあった。
1秒がとても長く感じる。
精神と時の部屋にいるみたいだ。
こういう時、ナンパ男ならなんて言うのだろうか。
一緒に行こうとでもいうんだろうか。
彼は少し行き過ぎている為にナンパと見られるだけであって、もう少し節度を持てば智樹のような誰とでも接することの出来る人気者になれるのではないか。
そんなことを考えているうちにエレベーターのドアが開いた。
先に僕が入り、彼女が乗らないうちに扉が閉まらぬよう開のボタンを押し続ける。
「あ……ありがとう」
静かな声でそう呟いたのが聞こえた。
「どう……いたしまして」
会話にもならないぎこちなさだ。
つくづくヘタレだと感じる。
1階のボタンを押そうと思った刹那、大切なことに気がついた。
「何回で降りるの?」
「1階しかないわ」
「あ……」
2階からは客室なのだ。
なんて馬鹿な質問をしたのだろう。何も大切ではなかった。
というか、さっき自分で推測していたではないか。
「優しいのね」
「え……?」
彼女は俯いたまま僕にとっては勿体無いことを言った気がした。
聞き間違えだろうか。
「優しいのね。あなたは、よく人のことを見ているわ」
それってどういう意味ですか。
ストーカーってことですか。
「そ、そんなことないよ!犯罪者じゃないんだし……」
「そういう意味じゃなくて」
「つまり?」
「周りをよく見ているということよ。気遣いのできる良い人だと思うわ」
彼女は顔を上げて僕を見つめた。
整った顔に劣等感を覚えるのと同時に羨ましいものにも感じた。
ぱっちりとした瞳に映る僕はどこか悲しげで、悔しそうだった。
鏡の中の僕とは裏腹に、瞳の中の僕を見つめる自分の心は高鳴り、緊張していた。
美しい顔立ち、潤う瞳、オリジナルに仕上げた特徴的なアシメ。
それら全てにひかれるものがあった。
背は僕が理想とする150cm前後。
完璧な女の子だと思った。
しかし、彼女越しに見る僕はどこか切なそうだった。
「ははは。お世辞をどうも。それより、自販機に行くんだよね?」
無理矢理気持ちを切り替えて話を逸らす。
「違うわ。売店に行くのよ」
「そうか。売店もあるのか」
「人のことはよく見るくせにそういう所は見ていないのね。変態だわ」
「さっきと言ってること違くない!?」
僕への扱いが悪くなってきた気がする。
原西や酒井に小馬鹿にされた時のように自然に突っ込みを入れてしまった。
彼女はそんな僕を見て小さく肩を震わせていた。
「面白い人だわ」
また僕の方を見た。
空港ではほとんど俯いていて関わりにくい感じの彼女だったが、今ではその面影は全くない。
意外と人懐っこいのかも知れない。
「あなた……ごめんなさい。元利くんも売店にしたら?」
「そうだね。そうしようか」
売店には見たことのない飲み物やお菓子が置かれていた。
どれを買おうかかなり迷った僕と七海さんだったが、結局2人で色々なものを買ってみて分け合おうということになった。
こんな積極的な提案を出したのは勿論僕ではない。
これまた予想外なことに七海さんのアイデアだ。
売店のおばちゃんに、
「お幸せにね」
と言われながら店を後にし、自室へと戻った。
「今は智樹たち風呂に行ってるから誰もいないよ。入る?」
「そうね。早く食べたいわ」
言った後に気がついた。
凄まじく卑猥な誘いで、ものすごく淫乱な返答であったと。
レジ袋に積み込まれた約1000円分のお菓子を机に並べ、智樹たちが帰ってくる間にどれを食べようかと意見を出し合った。
結局スナック菓子1袋と缶ジュース1本を2人で分け合うことにした。
もちろんジュースはコップに開けて飲んだ。
ジュースにはシークワーサー味と書かれていたが実際にシークワーサーを食べたことがない僕と彼女は微妙な表情を浮かべた。
「なんか、マスカットを酸っぱくしたみたいな感じだよね」
「うん。最初は酸っぱいけど慣れたら結構イケるわ」
気に入ったのか半分以上彼女が飲んでしまった。
スナック菓子は袋の表記がこっちと違うだけで普通の塩味のポテトチップスだった。
一通り食べ終わったタイミングで風呂が湧いた。
「もうお風呂に入るの?」
「その予定だったけどね。まだ話せるなら話そうか」
自分はお風呂に入るからそれじゃあねなんて言うほど適当な男ではない。
酒井ならワンチャンありそうだが。
「迷惑になるわ。私も飛香を待たせてるから」
「立花のことか」
「クラスメイトの名前くらい覚えておいたほうがいいと思うのだけど……あ、でもナンパ男くんの名前は分からないわ」
「あー、あいついつもそう呼ばれてるからなー……」
「とりあえず、付き合ってくれてありがとう。残りの分はまた時間が合う時にでも食べましょう」
「そうだね」
また会う約束をして短いデートを終えた。
少しの時間だったが、そのひとときはシークワーサーよりも甘酸っぱいものとなった。