一途な溺愛プリンスはベールアップを譲れない
 コンコンコンと無機質に響くノックの音に反射的に返事をすると、少し間があって病室のドアがスライドした。

 理知的な印象の、メタルフレームの眼鏡をかけたスーツの男性が顔を覗かせる。

 宝来寺伶の担当マネージャー、石神廉さんだ。

 彼はいつかのように鋭い眼差しで、ベッドで上半身を起こしている私の姿を見定めるように素早く確認すると、隣にいる彼に視線をうつし、ため息をついた。


「……伶、意識が戻ったらすぐ報告すべきでしょう」

「ごめん」

「いいです、私が行ってきます。萩元さん、ご気分はいかがですか? 身体に違和感や痛みはありませんか?」


 芝居がかった話し方が特徴の石神さんは、冷たく見えて本当は情に厚い人だ。

 形式的に訊ねているように見えて、ちゃんと心配してくれている気持ちが伝わる。

 ……情というよりも、義理人情と言った方が正確かもしれない。


「ちょっとぼんやりしてますけど、問題ありません。それで……」


 自分の記憶が戻っていることを話すと、石神さんは狐につままれたような顔をして固まった。

 何を忘れてしまったか忘れていた自分にとって、これでピースはすべて揃ったと言い切る自信はないが、言いようのない空虚感が埋まっていることが、感覚的にわかる。

 途切れていたここ最近に起きた出来事に関する記憶も、15歳までの埃をかぶりそうな過去も、実感は伴わないが覚えてはいる。

 手持ち無沙汰に私の指を弄ぶ彼のことも、今日1日一緒にいたのに今になって、幼い頃の可愛い友人との再会の喜びがじわじわとこみあげてきていた。


「承知しました。医師に伝えましょう。貴女の主治医にも連絡しておくべきだと思うのですが、ご自身で出来そうですか?」

「あ、はい。大丈夫です」

「伶、警察はすぐにでも事情聴取をと言っていますが、どうしますか」

「あー、ショックで寝込んでてとても話ができる状態じゃないって言っといて」

「……私に嘘をつけと?」

「俺が自分でそういう風に演じてもいいけど。今は……雫と離れたくない」


 甘えるようにふわりと抱きつかれ、彼の匂いに包まれる。


 警察。

 事情聴取。


 たくさんの人を巻き込んで、大事にしてしまった。

 突入直後の彼の様子を思い出す。

 詳しい話はまだ聞けていないけれど、私は、あのカメラのデータを見た。

 目に入ってきたものはほんの一瞬だったけれど、胃の辺りが静かに握りつぶされてぐちゃぐちゃになるような不快な痛み、不安を煽られるような不穏な鼓動は、きっと一生忘れない。


 もう、取り返しはつかない。

 私もこの後、事情聴取を受けるだろう。

 自宅には帰れるのだろうか。

 帰れたとしても……少し、怖い。


 彼の温もりに縋るように背中に手を添えると、ぎゅっと抱きしめ返される力が強くなった。

 背中越しに目が合った石神さんは、目をそらすことなく私たちを見ている。

 何か言った方がいいんだろうか、と迷っていると、気づかないくらいの小さなため息をひとつついて、「先生を呼んできます」と病室を後にした。



< 119 / 122 >

この作品をシェア

pagetop