一途な溺愛プリンスはベールアップを譲れない
 ドアが閉まる音を確認したかのようなタイミングで体が離される。

 彼は自分を落ち着けるように静かに深呼吸をすると、じっと、私の顔を覗き込んだ。


 ……近い。

 本能レベルで無意識にときめいてしまう端正な顔立ちに接近され、動揺を隠せない。


「伶く」


 これ以上はと制しようとしたところで、控えめに唇を重ねられた。

 むにゅりと柔らかい唇の優しさに、じんわりと身体の内部の変化を感じ取る。

 軽くついばむ合間に漏れる艶っぽい吐息にあてられ、

 “可愛い弟”が、“大人の男”に変わった。


「……好きだよ、雫」


 潤んだ瞳はとても真剣で、つられるように自分の瞳にも厚い膜が張った。

 甘い囁きにつま先から頭皮まで包まれて、優しく痺れるような感覚に襲われる。


「俺は、雫じゃないとダメなんだ。雫に拒まれたら……多分一生立ち直れない」


 情けないけど、と眉を八の字に下げて弱々しく笑う顔に、本当にそうなんじゃないかと思わされる。

 立ち直れなくなった彼を想像すると切なくて、胸が痛んだ。

 同じように「雫じゃないとダメだ」と言ってくれていた、元彼、麻生流司の顔が思い浮かぶ。


 私は、彼を拒んでしまった。

 彼のことは愛していたけれど、自分勝手な理由でもう交際を続けることはできないと告げて、一方的に去った。

 彼は何度も言った、「雫じゃないとダメだ、雫がそばにいないと生きていけない」って。

 かつて愛した人が、生きていけないと言う。

 真に受けてはいないつもりだったが、どこかで彼を見捨てられなかった。

 ……罪悪感? そうかもしれないし、違うような気もする。

 こんなにも強く自分を必要としてくれる人を、手放す勇気がなかったのかもしれない。

 彼が今まで通りの彼として生きられなくなることは辛くて、ずっと引っ掛かっていた。


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