一途な溺愛プリンスはベールアップを譲れない

蛇の瞳

 別れの時間が近づいてきている。

 練馬ICを降りて笹目通りから環八に入った。

 このあたりまで来ると見慣れた景色が続く。

 私の住んでいるアパートまであと5~6分というところだろうか。


 宝来寺さんは、口数が少なくなっていた。

 私に気を遣うのに疲れたのかもしれない。

 この後の仕事のことを考えているのかもしれない。

 いずれにせよ、沈黙が気まずくないのは救いだった。

 私も、ぼんやりと窓の外を眺める。


 今朝待ち合わせたのと同じ場所に車を停めると、宝来寺さんは名残惜しそうに私の手を握った。

 今日の午後の数時間でかなり距離が縮まったと思ったが、やはりこの瞳で見つめられると体が硬直する。


「また、会える?」

「……はい」

「連絡するね」

 私が降りようとするのを手で制し、外からドアを開けてくれた。


 歩き慣れた平凡な住宅街の路地に足をつける。

 その瞬間、夢のような時間が終わって、現実に帰ってきたような気持ちになった。


「30秒、ちょうだい」


 え?と顔を上げると、ふわりといい匂いがして、宝来寺さんの腕に抱きすくめられる。

 私の形や、柔らかさを確かめるように、きゅっ、きゅっと体を密着させた。

 そのちょうどよい力加減が心地よくて、体を委ねる。

 一緒に過ごした時間を確かめるように、……彼の私への気持ちを確かめるように、背中に手を伸ばした、刹那。


「――……雫?」


 ばくんと心臓が大きく1回収縮し、衝撃が頭蓋骨まで伝わってピリピリと響いた。

 嫌な汗が、背中を流れる。

 この、声、は……。


「……驚いた。宝来寺伶、さんですよね。いつもテレビで拝見してます」


 人当たりのいい爽やかな笑顔を浮かべて、“彼”はそう言った。



 ――麻生 流司。


 蛇のような、光を無くした目で、こちらを見ていた。



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