「英国の月は、暁に映る恋に溺れる」
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「おはようございます」
「おう、おはよう」
今日は私がオフィスに一番乗り!そう思いながら始発の電車に揺られて出社したはずが、フロアに足を踏み入れた途端見慣れた後ろ姿に胸がドキッと鳴った。
オフィスチェアに腰掛けていても、広い背中で彼が高身長だということは容易に分かる。それから照明に反射して艶めく漆黒の髪が彼が如何に健康的な男性かということを証明している。
多忙を極める編集部において一際いとまが無い編集者、伊原 響輝さんは私の二つ年上の先輩だ。
「伊原さん、早いですね......!?てゆうか、昨日もまた会社に泊まったんですか??」
「ああ」
おそらく始業時間のだいぶ前から......というか、徹夜していたかもしれないというのに。伊原さんは微塵の気怠さも滲ませる事なく相変わらずパソコンをタイプしながら背中越しに実にあっさりと返事をした。
どんなに彼が仕事熱心な敏腕社員とは言え並外れたバイタリティには常々脱帽する。
意気込んで早朝出社したはずが完敗し、脱力して立ち尽くしている私に伊原さんは意外なことを言った。
「舞香はいつも早いよな」
とっ......とんでもないっ!先輩こそ!
と、心の中で返事をしながら「いえ......」と、私は恐縮した態度を示した。
私はその調子のまま、”そろり、そろり”と小回りして伊原さんの横を通り自分の机に着席した。
その時には伊原さんは私の存在など忘れているかのように寡黙にパソコンをタップしていた。
カチャカチャとキーボードを叩く音が小気味よく始業前のオフィスに響いている。
そのリズムを生み出している彼のことが私はどうしても気になって......、斜め前に座る伊原さんにチラッと視線を合わせた。
「ん?」