言い訳~blanc noir~
 淡々とした男の声だった。

 声に聞き覚えはない。仕事関係者ではない様子が声の調子から伝わってくる。

 携帯越しに何か張り詰めたような空気が漂っているのを瞬間的に感じ取った。

 その空気の正体が何なのかわからない。

 ただ、冷たく真っ黒い渦の中に吸い込まれてしまいそうな恐怖が漂っている。和樹の表情が強張り、携帯を握る手が一瞬にして汗ばむのがわかった。


―――それ以上何も言わないでくれ。俺に何も言わないでくれ。


 間違いでした、と、このまま何事もなく電話を切ってくれ。

 和樹の魂が何かに反応したかのようにざわざわと騒ぎ出す。


 異変に気付いた古賀が何事かと和樹を見上げた。


「わたくし北署の石田と申しますが、広瀬沙織さんの婚約者の方でいらっしゃいますか?」


―――北署? なぜ警察が俺に?

―――なぜ沙織の名前を……?

―――そしてなぜこの石田という男は、俺が沙織の婚約者であると知っているんだ。


「はい……」

 喉の奥から絞り出すように返事をした。

 しかし次の言葉を石田が続けた瞬間、和樹は後頭部を鈍器で殴られたかのような鈍い痛みが走り、全身が小刻みに震え出した。


「沙織さんが先ほど交通事故に遭われました。市立病院に搬送されましたので大至急向かわれてください。病院に署の者がいま―――」


「―――どういう事なんですか!? 何で沙織が!? 沙織は無事なんですか!?」


 和樹の中で一気に何かが爆発したかのような大声が廊下に響き渡った。

 会議室にいた行員たちが和樹の声に気付き飛び出してきた。


「椎名さん!」


 古賀が和樹の手を握るがその手を振り払う。


「どういう事なんですか!? 沙織は!?」


「こちらでは何とも。すぐに病院に向かわれてください」


「どういう事なんだよ!!」


 手から携帯電話が滑り落ち廊下に叩きつけられた。ぱんっと弾けたようにバッテリーが飛び出す。


「おい! 椎名! どうしたんだ!!」


 壁に寄りかかり力を失った和樹がその場にしゃがみ込む。と、佐原が駆け寄り、和樹の肩を何度も何度も揺さぶった。


「椎名!! しっかりしろ!! どうしたんだ!?」


「……沙織が、沙織が……事故に遭ったんです」
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