言い訳~blanc noir~
 もういっその事、気でも狂えばらくだろうか。

 このまま最上階のこの部屋のベランダから身を投げ出せば、沙織の元に行けるだろうか。

 何度そう思っただろうか。

 しかしぎりぎりのところではっと我に返る。


―――クロを残して死ぬわけにはいかない。


 和樹にとってクロの存在がまるで命綱のようになっていた。


 このマンションに越して来てから10日が過ぎた。

 4月いっぱい仕事を休ませて欲しいと有休を取っていたが、引越しを終え、荷ほどきも終わり、毎日する事もない。

 朝を迎え、気が付くと陽が落ち、夜になり、いつの間に眠ったのかわからない。

 今日が何日なのか今が何時なのか、そんな事さえもわからなくなっていた。

 それでも喉が渇けば水を飲む。腹が空けばコンビニで買って来たものを口にする。そしてシャワーを浴び、クロに話し掛け、キャットフードを与え、沙織がしていたようにおやつの時間に鰹節を与える。

 自分の意思というよりは、もはや惰性で生きているだけだった。


「沙織。一人ぼっちって寂しいな。こうなって初めて沙織の気持ちがわかったよ」


 沙織の遺影に話し掛けた。

 写真の沙織は頭に小さなティアラを飾り、純白のウェディングドレス姿でにっこりと微笑んでいる。

 今にも「ご主人様」とどこかから声が聞こえてきそうだった。

「ごめんね。椎名沙織にしてあげられなくて」

 そう声に出すと途端に喉の奥が息苦しくなり、気付くと涙が膝に落ちていた。

「苦しいよ、沙織。俺、苦しいよ……帰って来てくれ……」


―――にゃあ。

 鳴き声に気付き我に返ると、いつからそこにいたのか、クロが和樹の隣に座っていた。


「クロ……」

 和樹はクロを抱きかかえた。ずっしりとした重み。ごろごろと喉を鳴らすクロを抱きしめる。

「クロ、ごめんな。俺なんかよりずっと沙織といたかっただろ? ごめんな」

 返事はない。目を細め、和樹を見上げるクロの表情が沙織によく似ていた。


 
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