言い訳~blanc noir~
桜産婦人科。看護師から診察室前の長椅子で待つよう案内された。
「今診察されている方が終わりましたらすぐにお呼びしますので。しばらくこちらでお待ちください」
看護師が一礼すると和樹の前を通り過ぎて行く。
思えば不審な点はいくつかあった。
入籍をとにかく急ぎたいというわりには引越しに関しては6月いっぱいは無理だと言っていた事を思い出した。
こちらからあえて何も訊ねていないのにべらべらと自ら話し出した事に違和感のようなものを覚えたが、その時は特に気にも留めていなかった。
あくまでも憶測でしかないが夏海は6月の生理を終わらせたかったのだろう。
いくら男が女の身体のメカニズムに疎いとは言え、一緒に暮らすとなれば気付かれる可能性が高い。
生理用品の置き場や処理にも困るはずだ。
そろそろ7月の生理が始まる頃に違いない。
今回始まった生理を「流産による出血」だと言うつもりではないか。和樹はそう考えていた。
昨夜、わざと夏海にしたい素振りを見せたのも、夏海が現在生理中であるかどうかを確認したかった。しかしセックスに乗り気だった夏海は生理ではない事がわかった。
―――妊娠は十中八九嘘だろう。
あともう一つ解せない事がある。
「椎名さんどうぞ」
診察室の扉が開くと若い看護師から中に通された。
「おはようございます。えーっと今日はどのような事で?」
眼鏡をかけた50代前半と思われる男性医師はにこやかな笑みを浮かべている。和樹はバッグから封筒を取り出した。
おや、と医者がその封筒に視線を向ける。
「回りくどい言い方が苦手ですので率直に申し上げます。妻の妊娠を疑っています」
「うん? 奥様の妊娠を疑っているとはどういう事ですか」
医者がぎょっとした顔を和樹に顔を向けた。
「ここに妊娠診断書とエコー写真が入っているのですが、この二つはこちらの病院のものでしょうか?」
封筒から診断書とエコー写真を取り出し医者に差し出した。医者は眼鏡を持ち上げ、診断書とエコー写真に目を通すとすぐに顔を上げた。
「この診断書はうちの病院のものではありませんね」
和樹の表情が一瞬険しく歪んだがすぐに冷静を装い顔を上げた。
「やはりそうですか」
「エコー写真は確かにうちの病院で使用している感熱紙です。ただ通常であればここの部分に日付けが入るんですよ」
医者がエコー写真の右端を指でなぞる。
「日付け部分を切り落としていますね。あと、診断書ですがこれは明らかに偽造でしょう。まず僕の字ではありませんから」
和樹は一切表情を変える事なく医者の説明に耳を傾けていた。医者が呆れたように息を吐き、いささか哀れみの目で和樹を見つめた。
「もう入籍されたんですか?」
「はい。子供ができたと言われましたので。妊娠診断書もエコー写真も生まれて初めて目にするものでしたからその時はこれが偽造だとは気付きませんでした」
「……裁判をお考えなら弁護士の方から正式にお話を頂ければご協力いたします」
「ありがとうございます」
和樹は立ち上がり一礼すると診察室を後にした。
もう一つの違和感は診断書だった。
あの日、夏海に診断書を手渡されたときあまりにも簡易的な書面に拍子抜けした。
夏海に「たったこれだけか」と訊ねたところ、あの日もべらべらと訊いてもいない事まで話しだしたのをよく覚えている。
あの女は都合が悪くなると喋らなくてもいい事までべらべらと喋り出す癖があるらしい。
程度の低さ加減に呆れを超え笑いが込み上げた。
「こんな馬鹿な女に俺は騙されたのか」
「今診察されている方が終わりましたらすぐにお呼びしますので。しばらくこちらでお待ちください」
看護師が一礼すると和樹の前を通り過ぎて行く。
思えば不審な点はいくつかあった。
入籍をとにかく急ぎたいというわりには引越しに関しては6月いっぱいは無理だと言っていた事を思い出した。
こちらからあえて何も訊ねていないのにべらべらと自ら話し出した事に違和感のようなものを覚えたが、その時は特に気にも留めていなかった。
あくまでも憶測でしかないが夏海は6月の生理を終わらせたかったのだろう。
いくら男が女の身体のメカニズムに疎いとは言え、一緒に暮らすとなれば気付かれる可能性が高い。
生理用品の置き場や処理にも困るはずだ。
そろそろ7月の生理が始まる頃に違いない。
今回始まった生理を「流産による出血」だと言うつもりではないか。和樹はそう考えていた。
昨夜、わざと夏海にしたい素振りを見せたのも、夏海が現在生理中であるかどうかを確認したかった。しかしセックスに乗り気だった夏海は生理ではない事がわかった。
―――妊娠は十中八九嘘だろう。
あともう一つ解せない事がある。
「椎名さんどうぞ」
診察室の扉が開くと若い看護師から中に通された。
「おはようございます。えーっと今日はどのような事で?」
眼鏡をかけた50代前半と思われる男性医師はにこやかな笑みを浮かべている。和樹はバッグから封筒を取り出した。
おや、と医者がその封筒に視線を向ける。
「回りくどい言い方が苦手ですので率直に申し上げます。妻の妊娠を疑っています」
「うん? 奥様の妊娠を疑っているとはどういう事ですか」
医者がぎょっとした顔を和樹に顔を向けた。
「ここに妊娠診断書とエコー写真が入っているのですが、この二つはこちらの病院のものでしょうか?」
封筒から診断書とエコー写真を取り出し医者に差し出した。医者は眼鏡を持ち上げ、診断書とエコー写真に目を通すとすぐに顔を上げた。
「この診断書はうちの病院のものではありませんね」
和樹の表情が一瞬険しく歪んだがすぐに冷静を装い顔を上げた。
「やはりそうですか」
「エコー写真は確かにうちの病院で使用している感熱紙です。ただ通常であればここの部分に日付けが入るんですよ」
医者がエコー写真の右端を指でなぞる。
「日付け部分を切り落としていますね。あと、診断書ですがこれは明らかに偽造でしょう。まず僕の字ではありませんから」
和樹は一切表情を変える事なく医者の説明に耳を傾けていた。医者が呆れたように息を吐き、いささか哀れみの目で和樹を見つめた。
「もう入籍されたんですか?」
「はい。子供ができたと言われましたので。妊娠診断書もエコー写真も生まれて初めて目にするものでしたからその時はこれが偽造だとは気付きませんでした」
「……裁判をお考えなら弁護士の方から正式にお話を頂ければご協力いたします」
「ありがとうございます」
和樹は立ち上がり一礼すると診察室を後にした。
もう一つの違和感は診断書だった。
あの日、夏海に診断書を手渡されたときあまりにも簡易的な書面に拍子抜けした。
夏海に「たったこれだけか」と訊ねたところ、あの日もべらべらと訊いてもいない事まで話しだしたのをよく覚えている。
あの女は都合が悪くなると喋らなくてもいい事までべらべらと喋り出す癖があるらしい。
程度の低さ加減に呆れを超え笑いが込み上げた。
「こんな馬鹿な女に俺は騙されたのか」