言い訳~blanc noir~
 午後8時。

 玄関ドアを開けると夏海がリビングから笑みを浮かべ出て来た。

 全てばれているとも知らずに良妻面か?

 思わず口をついて出そうになった言葉を和樹は飲み込んだ。既にばれているとも知らず相変わらず腹を撫でる仕草を和樹に見せつける。

 この数ヶ月、夏海は毎日のように愛おしげ腹を見つめながら撫でている。

 それだけではない。

「うっ」と口元を押さえトイレに駆け込んでみたり、マタニティ雑誌に目を通してみたり、先日は子供の命名リストを作成していた。

 いくら嘘がばれないよう足りない頭で考えた行動とは言え、どういう思いでそんな馬鹿げた事をしているのか、夏海自身、本気で妊娠しているような錯覚に陥っているのだろうか。

 この数ヶ月妊娠していると信じ込んでいただけに、それが全て嘘だと知れば夏海の全ての行動や言動に憎しみを覚えてしまう。


「ご飯の用意しようか?」

「いらない」

 夏海の顔を見る事なく靴を脱ぐ。

「え? せっかく用意してるのに。おかずだけでも食べてよ」

 和樹の返事も聞かず、夏海は踵を返しキッチンへ向かった。

 和樹はネクタイを緩めながら沙織の部屋のドアノブに手を掛けた。いつもはクロが自由に出入りできるよう完全に扉を閉めず少しだけ開けているはずが、なぜかきっちりと扉が閉められていた。

 扉を手前に引く。すると灯りのついていない沙織の部屋からクロが飛び出して来た。

「クロ? お前閉じ込められてたのか?」

 一体いつから沙織の部屋に閉じ込められていたのだろうか。にゃあにゃあと何かを訴えるように鳴き声をあげながら和樹の足元にすり寄る。

 その瞬間抑え込んでいた感情が一気に爆発した。

「―――あの女」

 キッチンに繋がるドアを睨みつける。怒りが沸々と胃の腑から押しあがってくるようだった。

「クロを沙織の部屋に閉じ込めてたのか?」

 キッチンに立ちキャベツを刻む夏海の背後から声を掛けた。

「閉じ込めてたわけじゃないんだけど。夕方、廊下に毛玉吐いてさ。ちょっとおしおきしてたの。悪いコにはおしおきしないとでしょ。和樹はクロの事甘やかし過ぎだと思うし」

「お前がそんな事言える立場か?」

「えっ?」

 夏海の包丁を持つ手の動きが止まった。
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