言い訳~blanc noir~
美樹に子供ができた、らしい。
一瞬“美樹”とは誰を指しているのかぴんとこなかった。絵里子の一方的な話を聞くうちにそれがかつての恋人、小泉美樹であるとわかった。
美樹と別れてもう3年半、いや、もう4年? それさえもはっきりと思い出せなくなっていた。
沙織が死んだ日から3年半が過ぎた。いずれにしても4年近い時間が経過している。
「絵里子、まだ美樹ちゃんと付き合いあるの?」
和樹がベッドから起き上がり枕元に置かれた煙草に手を伸ばすとラブホテルの名前が記載されたライターで火をつけた。
「ほぼ疎遠状態よ。嫌いだもん、あの人」
脱ぎ捨てられたバスローブを拾い上げ、それを羽織りながら絵里子が吐き捨てるように言った。
そのあからさまな言い方に和樹が苦笑いする。
「仲良かったんじゃないの? 美樹ちゃんと絵里子って」
「適当に付き合ってただけよ。昔から好きじゃなかったし。特に結婚してからは大嫌い。玉の輿のくせに“私は元からセレブですけど何か?” みたいな顔しちゃって。私の結婚式の二次会覚えてる? 美樹、椎名さんに結婚して結婚してって迫ってたよね」
その時の光景が思い出され和樹が「ああ、そんな事もあったね」と笑いながら煙を吐き出した。
細い煙が立ち昇る。それを眺めていると、その日の夜、沙織とクロに初めて出会ったあの夜を思い出し胸を針で刺されたかのような小さな痛みが走った。
「美樹ってそんなにいい女? 玉の輿にのれるほどいい女とは思わないんだけど。あーあ、お金持ちと結婚したかったな」
「堀田だってそこそこ稼いでるだろ」
「どこが? 全然足りない。貧乏くじ引いたって感じよ。顔いまいち、性格は優柔不断、将来性もないんじゃない? いいのは職種だけ。しかも仕事出来ないからあんな地方のど田舎に転勤させられたんでしょ?」
「仕事が出来ないから転勤ってわけじゃないよ。俺だって過去に転勤は何度もあったし、今後だって転勤はあるだろうし」
「もし転勤になったら私もついて行ってもいい?」
絵里子が和樹の腕に自らの腕を絡ませると上目使いで見つめる。
「どうぞ?」
首を傾け微笑むと、絵里子ははしゃぐように笑った。
「ねえ、椎名さんは美樹の事好きだった?」
「美樹ちゃんの事?」
「そう」
「どうしてそんな事聞くの」
馬鹿馬鹿しい質問に思わず鼻で笑いそうになった。
「美樹ちゃんの事ってもうよく思い出せないんだよね。それに今、絵里子が好きだからこうやって一緒にいるんだろ?」
「狡い言い方ね。じゃあ奥さんと私、どっちが好き?」
―――またその質問か。
和樹は気付かれないよう小さく息を吐き、絵里子の唇を塞いだ。
「俺が好きなのは絵里子だよ」
「ほんと?」
「ああ」
面倒な女だ。
それでも暇つぶしのおもちゃ代わりにするには何ら問題はなかった。
堀田が今年の春から転勤になり、絵里子も暇を持て余しているようだ。「相談がある」と電話があり、何度か堀田の仕事の件で相談にのっているうちに話は仕事から私生活の話題へと移行した。
もう1年以上、夫婦関係がない、と絵里子は言った。
まるで誘うように足を組みかえ、わざと体をすり寄せてくる。それでも気付かないふりをしていると絵里子が「したいの」と、ブラウスを脱ぎだした。
別に何の抵抗もなかった。したいと言っているからそれに応じた、和樹にとってはただそれだけの事だった。
それがいつしか絵里子にとって「恋愛」になったらしい。会うたび「私の事愛してる?」「奥さんと私、どっちが好き?」と虫唾が走るような事ばかり訊ねられる。
しかし言葉だけなら何とでも言える。
「愛してるよ、絵里子」
その偽りの言葉にうっとりと目を細める絵里子を胸の中で嘲笑いながら抱く。それが自分にとって一つの遊び、まるでゲーム感覚になっていた。
一瞬“美樹”とは誰を指しているのかぴんとこなかった。絵里子の一方的な話を聞くうちにそれがかつての恋人、小泉美樹であるとわかった。
美樹と別れてもう3年半、いや、もう4年? それさえもはっきりと思い出せなくなっていた。
沙織が死んだ日から3年半が過ぎた。いずれにしても4年近い時間が経過している。
「絵里子、まだ美樹ちゃんと付き合いあるの?」
和樹がベッドから起き上がり枕元に置かれた煙草に手を伸ばすとラブホテルの名前が記載されたライターで火をつけた。
「ほぼ疎遠状態よ。嫌いだもん、あの人」
脱ぎ捨てられたバスローブを拾い上げ、それを羽織りながら絵里子が吐き捨てるように言った。
そのあからさまな言い方に和樹が苦笑いする。
「仲良かったんじゃないの? 美樹ちゃんと絵里子って」
「適当に付き合ってただけよ。昔から好きじゃなかったし。特に結婚してからは大嫌い。玉の輿のくせに“私は元からセレブですけど何か?” みたいな顔しちゃって。私の結婚式の二次会覚えてる? 美樹、椎名さんに結婚して結婚してって迫ってたよね」
その時の光景が思い出され和樹が「ああ、そんな事もあったね」と笑いながら煙を吐き出した。
細い煙が立ち昇る。それを眺めていると、その日の夜、沙織とクロに初めて出会ったあの夜を思い出し胸を針で刺されたかのような小さな痛みが走った。
「美樹ってそんなにいい女? 玉の輿にのれるほどいい女とは思わないんだけど。あーあ、お金持ちと結婚したかったな」
「堀田だってそこそこ稼いでるだろ」
「どこが? 全然足りない。貧乏くじ引いたって感じよ。顔いまいち、性格は優柔不断、将来性もないんじゃない? いいのは職種だけ。しかも仕事出来ないからあんな地方のど田舎に転勤させられたんでしょ?」
「仕事が出来ないから転勤ってわけじゃないよ。俺だって過去に転勤は何度もあったし、今後だって転勤はあるだろうし」
「もし転勤になったら私もついて行ってもいい?」
絵里子が和樹の腕に自らの腕を絡ませると上目使いで見つめる。
「どうぞ?」
首を傾け微笑むと、絵里子ははしゃぐように笑った。
「ねえ、椎名さんは美樹の事好きだった?」
「美樹ちゃんの事?」
「そう」
「どうしてそんな事聞くの」
馬鹿馬鹿しい質問に思わず鼻で笑いそうになった。
「美樹ちゃんの事ってもうよく思い出せないんだよね。それに今、絵里子が好きだからこうやって一緒にいるんだろ?」
「狡い言い方ね。じゃあ奥さんと私、どっちが好き?」
―――またその質問か。
和樹は気付かれないよう小さく息を吐き、絵里子の唇を塞いだ。
「俺が好きなのは絵里子だよ」
「ほんと?」
「ああ」
面倒な女だ。
それでも暇つぶしのおもちゃ代わりにするには何ら問題はなかった。
堀田が今年の春から転勤になり、絵里子も暇を持て余しているようだ。「相談がある」と電話があり、何度か堀田の仕事の件で相談にのっているうちに話は仕事から私生活の話題へと移行した。
もう1年以上、夫婦関係がない、と絵里子は言った。
まるで誘うように足を組みかえ、わざと体をすり寄せてくる。それでも気付かないふりをしていると絵里子が「したいの」と、ブラウスを脱ぎだした。
別に何の抵抗もなかった。したいと言っているからそれに応じた、和樹にとってはただそれだけの事だった。
それがいつしか絵里子にとって「恋愛」になったらしい。会うたび「私の事愛してる?」「奥さんと私、どっちが好き?」と虫唾が走るような事ばかり訊ねられる。
しかし言葉だけなら何とでも言える。
「愛してるよ、絵里子」
その偽りの言葉にうっとりと目を細める絵里子を胸の中で嘲笑いながら抱く。それが自分にとって一つの遊び、まるでゲーム感覚になっていた。